高架線脇の会堂
ここでは1973年から12年間お世話になった旧会堂の記録写真を掲載しています。
1階
1973年9月16日より、神田哲民兄のご尽力により会堂として使用を開始した。 左隣りの1階にはお好み焼き屋、右隣りには昼間から営業しているキャバレー、自衛官募集事務所があった。 手前を走る道は国道14号線。現在のような激しい車の往来はまだなかった。 駐車中の車が今ではレトロな印象を与える。
なお、このキャバレーの中へ一歩でも足を踏み入れることは当時の少年たちの度胸試しであった。 奥まで進んだ勇者によると、店内は暗く、子どもながらに場違いな雰囲気を察知したという。
2階へ続く急な階段。雨の日には滑りやすかった。 右隣りの扉はキリスト教書店の愛信書房への店舗に通じていた。
2階から1階を見たところ。急な階段の様子がよくわかる。 壁沿いにはりめぐらされたわずかの空間。 手すりらしきものあることから、何人かの子どもは度胸試しにカニ歩きで周回していたが、 しばらくして禁止された。 なお、実際に足を滑らせた者によると、そのままあっというまに階段下へ到達したという。
2階
2階につくと目の前には玄関があった。ここで靴を脱いで3階の会堂にあがった。 左手前にはトイレがあったが、礼拝後にはよく列ができていた。 右手には集会室があった。
集会室には簡易台所があり、料理が作られていた。
この教会の食事はいつも豪華なような気がする。
部屋の奥には非常に狭いながら牧師執務室(写真左奥)があった。
集会室では主に教会学校が行われていた。 机とセットに折りたためる便利なイスが使用されていたが、 写真右の少年のようにゆらゆらしていると、たまにひっくり返った。 この場合、本人はどうしたらよいかわからないほど複雑にはさまれる。
2階から続く階段を、3階から見下ろしたところ。こちらも急であった。
3階
3階は礼拝堂であった。三角屋根が印象的であった。 礼拝時にはパイプイスを並べていた。
ときどきバザーが行われていた。
礼拝室の隅には本棚(写真右奥)があり、福音館をはじめとする子ども向けの良書が多数収められていた。
クリスマス子ども会での様子。
屋根裏部屋
3階には屋根裏部屋があった。その部屋からは礼拝室を見下ろせる扉がついていたが、当然子どもの転落を防ぐために柵が設けられていた。
屋根裏部屋にへは、はしご階段を使って登ったが、小さい子どもは怖くてまず登れなかった。 階段の終点には落とし戸があり、板を片手で押し上げながら登る必要があった。 この写真は戸は引き上げられた状態のもので、戸は写っていない。
なお部屋に上がった後に板を降ろす際、指を挟むことが多々あったため、 指抜き用の穴が空けられたり、ひっぱり紐などが取り付けられた。
また、すでに部屋に子どもがいた場合、ノックをすると合(あい)言葉が要求されるが、 おもしろい言葉をいえばパスされた。
屋根裏部屋の壁には地図や年表が張られていた。 空間の特性上、また毛布やマンガ、ぬいぐるみなどもあったため理想的な子どもの遊び場であった。 しかし礼拝時にここで騒ぎ、また前述の礼拝室を見下ろす扉から、会衆頭上に紙飛行機を飛ばす不届き者もいたため、礼拝時の使用は厳禁された。
シャンデリアとステンドグラス
天井には2つのシャンデリアが吊るされていた。きれいだった。
礼拝室の向かって正面にはステンドグラス、両脇には主の祈りと使徒信条がかかげられ、 覚えていない場合にはこれを見て告白した。
このシャンデリアはどこへいったのだろうか。