ヨハネの福音書21章の黙想

「はじめに」

この「ヨハネの福音書21章の黙想」は、もともと私が西船橋教会に招聘された翌年(前任牧師・有賀寿先生の下で伝道師をしていた頃)、イースターの日(1982年4月11日)から7月4日まで13回にわたって週報に連載したものです。(さらに言えば、オリジナルはもっと古く、20代の半ばに母教会の機関紙に掲載した「小説風注解」(!)というのがあります。)

今回、日曜礼拝で90回以上にわたって語り続けてきた「ヨハネの福音書連続講解説教」の一環として、1998年7月第1日曜日から9月中旬まで、10数週かけて21章を説教するにあたって、かつての原稿に手を加えて、同時並行的に週報に掲載しました。一つにはインターネット時代を迎えて、ホームページに掲載できるように原稿を電子化しておきたい、という理由からです。同時に、(週報のスケジュールの関係で毎週掲載するわけにはいきませんが)7月からの日曜礼拝説教と週報連載とが多少後先(あとさき)しながらもほぼ同時進行することにより、私としては珍しく説教アウトラインめいたもの(完全に同じではありません)を公開しながら毎週のお話をすることになりました。

一つの読み物としてお楽しみくださり、「聖書を黙想する」という福音派クリスチャンに欠けがちな聖書理解の一助としてください。

「復活の主」

「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、 もう一度ご自分を弟子たちに現わされた。その現わされた次第はこうであった。 (ヨハネの福音書21:1)

第2次大戦中、連合軍がナチス・ドイツ軍の必死の抵抗に阻まれながらもヨーロッパに上陸、ベルリンに向けて侵攻を開始した時、全世界は、戦争は事実上終結したことを知りました。

もちろん、その後何か月にもわたり激しい戦いは続きました。数々の犠牲と空襲、殺害、飢えと寒さと破壊と悲しみは繰り返されました。けれども終わりは確実に近づいていたのです。この事実を疑う者は誰一人――おそらく狂気のヒットラーを除いては――いませんでした。幕は下り始めていました。恐怖のショーは終わったのです。

今、私たちクリスチャンが置かれている状況はそのようなものです。

主イエスが、堅く閉ざされた墓の封印を打ち破られた時、勝利は決定付けられました。主イエスは「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださ」(ヘブル2:14〜15)ったのです。イエスは「すでに世に勝」(ヨハネ16:33)たれました。そして私たちクリスチャンを「導いてキリストによる勝利の行列に加え」(第二コリント2:14)てくださっています。私たちは今、復活の主イエス・キリストと共に勝利の行進を続けているのです。

しかし、自分が勝利の軍団の一員であるとは思えない時があります。「自分」というレベルの局地戦ではひたすら敗走を続け、孤独と無力感とを味わわされることがあります。

けれどもその時でも、大局を見失ってはいけません。今、自分の限りある目で全体像を把握できないにしても、私たちはこれから死闘を繰り広げなければならないのではなく、勝利の行進をしているのです。そのことを信じ、認めなければなりません。ですからクリスチャンの戦いは、本質的に<信仰の戦い>です。「私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です」(第一ヨハネ5:4)。旧約聖書の信仰者たちについて言えば、彼らは確かに悲しみの人でしたが、同時に、彼らはまた、勝利を信じて疑わない信仰の勇者たちでした(ヘブル11章)。

今、復活の主イエスはガリラヤ湖畔に立って、再び弟子たちの前に――特にペテロとヨハネの前に――そのお姿を現そうとしておられます。弟子たちの問題と弱さを取り扱い、解決し、信仰の勇者として立たせ、個人戦での勝利者とするために、です。

「漁火(いさりび)」

「シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子たち、ほかにふたりの弟子がいっしょにいた。シモン・ペテロが彼らに言った。『私は漁に行く。』…」(ヨハネの福音書21:2〜3)

首都エルサレムの喧騒の中で焦燥の日々を過ごしたばかりの弟子たちにとって、花々の美しく咲き乱れる故郷ガリラヤの春はひたすら美しく、心なごませるものでした。

弟子たちはそこで、主イエスの再びおいでくださるのを待っていました。自分たちのいのちが危ういエルサレムにおいてではなく、ガリラヤで、主は新しい使命を自分たちに与えてくださるはずでした。

主イエスの訪れを待つ数日間、ペテロの心には解決されていない一つの問題が残っていました。あの事件に主はまだ触れておられなかったのです。いつか必ずその話題が出てくることは分かっていました。主イエスが逮捕され、裁判にかけられた夜、「イエスなど知らない」とのろいのことばを口にしてまで自分の身の安全を図った、あの裏切りの件の解決無しに新しい使命が与えられることはありそうに思えなかったからです。

主が何と言われるか――きっと赦してくださるであろうにしろ、どう扱われるか――、患者が医者を信頼して身を委ねるにしても、未知の治療法に不安がないわけではない、そうした気持ちに似た、重苦しい感情に捕らわれたままで、ある日の夕暮れ、食事を終えたペテロは、ひとり湖のほとりにたたずみました。岸辺のここかしこに、夜の漁に出て行く小舟の姿が見えます。

それは、かつての自分の世界でした。親の代からの漁師としてその世界で精一杯生きていた自分が、召されて新しい世界に入ったものの、結果は無残でした。今一度あわれみにより新しい使命に召されたとしても再び失敗しない保証はありません。もう一度、自分の力を確認しておきたい…。漁に出て、自分の専門の領域で自分の力を確認しておきたい…。

「私たちもいっしょに行きましょう」――いつしかペテロのかたわらに来ていた他の弟子たちも思いは同じでした。

やがて、彼らは舟を出します。

弟子たちが漁に行ったことについて、伝道者としての生活をやめて自分たちの元々の職業に戻ろうとしていたのだ、いや、その日の食糧を求めて漁に行ったに過ぎないのだ、といった議論がなされます。

けれども、このどちらの見解も、向かうべき方向を見失った議論です。弟子たちは、自分たちの最も得意な領域で自分たちの力を(それはとりもなおさず自分という存在を)確認したかったのです。みじめで無力な失敗者として自分たちの慕う主イエスに会うのではなく、それ以前に何とかして何者かになっておきたかったのです。

夜の湖にひとつ、漁火が増えました。網を打ち、懐かしい獲物の手応えを感じ取ろうとし、…「しかし、その夜は何もとれなかった」。

自分の無力さを認めず神の前で何者かになろうとする試みは、失敗せざ るを得ないのです。

「夜明け」

「夜が明けそめたとき、イエスは岸べに立たれた。けれども弟子たちには、それがイエスであることがわからなかった。」 (ヨハネの福音書21:4)

自分たちの専門分野での失敗はみじめです。夜が明け、漁に最適の時間が過ぎ去り、自分たちに収獲は何もなかったと分かった時、弟子たちは無言のまま舟を岸へと向け始めました。

こんなことはよくあったことだ、昔だっていつも大漁というわけにはいかなかった、収獲のない日はいくらでもあった、――そういくら自分に言い聞かせても、それが何の説得力も持っていないことは、弟子たち自身がよく分かっていました。漁はもはや彼らの世界ではなかったのです。

過去の世界には固く戸を閉ざされ、新しい世界には不安とおののきと挫折感を味わわされたままで、ペテロは舟の片隅にうずくまっていました。

水しぶきとも汗ともつかないものが彼の裸のからだをぬらし、次第に明るさを増してくる四方の風景さえ、もはや心休まる故郷の風景ではなく、見知らぬ異邦の世界とも思えるものでした。

その時、近づきつつある岸の薄闇の中に淡く一つの人影が浮かびました。

その人影から声が発せられます、「若者たちよ、何か魚(さかな)はあるのか」(5節)。「若者たちよ(パイディア)」(新改訳では「子どもたちよ」)という語は、イエスが「子よ」と親しく呼びかけてくださる時のことば(マタイ9:2等々)とは少し違って、労働に従事する者への呼びかけの意味もあります。

また「魚(プロスファギオン)」(新改訳では「食べる物」)という語は、もともと「副食物(おかず)」という意味の言葉ですが――ちょうど日本語でも「酒菜(さかな)」(酒のつまみ)という語が、おつまみとして魚がしばしば用いられたことから「魚(さかな)」を指すようになったように――パンの副食物として魚を食べることが多かったことから「魚」を意味するようになりました。

イエスは意表を突いた登場の仕方をなさいました。魚を買いに来た仲買人でもあるかのように「魚は捕れたのか」と岸から声をかけ、弟子たちも当初はそのように理解していたのです。漁から戻る若者たちを待ちかねるかのように岸から収獲の多寡を尋ねる仲買人がいた、と。

しかし、その人物のことばは、残酷なまでに弟子たちの心に深く突き刺さりました。さかなはあるのか。何も捕れなかったのか。お前たちが自信を持つ専門分野で、収獲は何一つなかったのか…。

精神科医はしばしば患者のすべてを暴くことをします。「自分の姿に真に直面しえずして、自分を変えていくことはできない」(工藤信夫『人を知り人を生かす』)からです。

主イエスは、無防備だった弟子たちに、思いもかけない角度から、ありのままの姿を認めさせられました。愛ゆえの第一歩です。

「それぞれの応答」

「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。」 (ヨハネの福音書21:6)

岸辺にたたずむ見知らぬ男の「さかなは何もないのか」という思いもかけぬぶしつけな呼びかけに、深い痛みと屈辱感を味わいながら、弟子たちが「とれませんでした」と正直に答えた時、新しい道が開けました。

その答えを待っていたかのように、岸からはただちに「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」と声がかけられたのです。

ガリラヤ湖は魚の豊富な淡水湖です。魚が群れをなして湖面近くに現れる時、水面は、遠くから見ると夕立にたたかれたかのように波立って見えたといいます。

弟子たちは思います。自分たちの気付かなかった、そうした魚群の兆候を岸辺の男はとらえていたのかもしれない、と。それよりなにより、空手(からて)では帰りたくありませんでした。

そう思った弟子たちは、すぐ何のためらいもなく網を再度打ちます。昨夜来の漁でぐっしょり濡れていた網は、水滴を朝日に美しくきらめかせながら湖面に沈んでいきました。

「すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。『主です。』すると、シモン・ペテロは、主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ」(6〜7節)。

打ちはしたものの、さしたる期待も抱かずに手繰り始めた網にずしりとた手応えを感じた瞬間、弟子たちは一気に一つの忘れ得ぬ記憶にたどり着きました。数年前、出会ったばかりのイエスの指示で、真っ昼間、網を下ろした時の、思いもかけない大漁の出来事です(ルカ5章)。あの時から、自分たちの新しい人生は始まりました。今、目の前でその同じ光景が再現されています。

思い出すことは思い出しても、その時のことと今の目の前でのこの出来事とをどう結び付けたらよいか戸惑うペテロの傍らで、年若く感受性の鋭いヨハネは、二つの出来事の関連性を瞬時に分析し、結論を下しました――「主です」。

主です、と聞いたペテロの行動は、今度はすばやいものでした。ペテロは熱情の人です。百メートルたらずの距離を進む舟の動きももどかしく、一瞬も早く主のもとへ急ごうと、せめて主にお会いするにふさわしい身なりだけでも整えるべく、そばにあった上着を引っつかむと湖に飛び込みました。

「しかし、ほかの弟子たちは、魚の満ちたその網を引いて、小舟でやって来た。陸地から遠くなく、百メートル足らずの距離だったからである」(8節)。

他の弟子たちは、主が与えてくださった魚を確実に岸まで運ぶ責任を果たすことを優先させました。

主にお会いした喜びを、皆それぞれに自分としての最高の方法で表現しました。そしてそれを互いに認め合ったのです。

「忘れ得ぬ数字」

「こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。イエスは彼らに言われた。『あなたがたの今とった魚を幾匹か持って来なさい。』シモン・ペテロは舟に上がって、網を陸地に引き上げた。それは百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったけれども、網は破れなかった。」(ヨハネの福音書21:9〜10)

復活の主イエスにお会いした喜びを、弟子たちがそれぞれに表現しながらガリラヤ湖の岸に着いた時、イエスは彼らのために食事を用意して待っておられました。

共に食事にあずかり至福の時を過ごしたいとの、はやる思いをおさえて、弟子たちはまず漁の後片付けを始めます。

それは、一つには、漁師として彼らが幼い時から躾(しつけ)られた当然の習慣であり(マタイ13:48)、一つには、イエスご自身が(ご自分があらかじめ用意してくださった魚に加えるために)魚を幾匹か持ってくるようにと弟子たちにお命じになったからです。

網を陸に引き上げ、魚を(すぐに出荷できるように)仕分けると、全部で153匹。それも大きな魚ばかりでした。

弟子たちのうちある者は、岸辺の水で網を洗い片付ける作業に従事しましたが、それほどの大漁にもかかわらず、網のどこにも破れ目を見出すことができませんでした。

「漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた」(ルカ5:2)とあるように、プロの漁師として、仕事終了後どんなに疲れていても漁の後片付けをするのは、当然の務めです。その務めを、主にお会いするといった大事件の時にも弟子たちは遂行し た、と理解すべきです。

テレビドラマなどを見ていて不思議に思うことがあります。ある人が帰宅すると恋人からの手紙が届いていた、とします。そこで彼(彼女)は手荷物を放り出して、その場で手紙の封をひきちぎって読み始めます(そういう演出がほどこされます)。感性は人それぞれですから、その場面を見て当然と思う人もいれば、何と育ちが悪いと思う人もいることでしょう。服を着替え、荷物を整理し、テーブルに着いて、おもむろにはさみを取り出して封をていねいに切り、ゆっくりと読み出す。そうした表現法の方が現実に即していることもあるはずです。弟子たちは、「153匹」と魚を数え上げ、網を洗い、破れ目の有無を確認し、とすべてを整理し終えてのちに、ゆっくりと喜びにひたる道を選びました。

「153匹」という数字は、(たとえば、153という数字は17を一辺として正三角形を構成するので、三位一体なる神の完全性を象徴している、と解説されたりしますが)、象徴的な意味は特に帯びていないでしょう。

観察力鋭いヨハネは、「百メートル」(8節)という距離を、「百五十三匹」という数字を、「三度目」(14節)という回数を、終生忘れることなく記憶しました。

天の虹が人類への神の約束を思い起こさせるように(創世記9章)、いくつかの具体的数字が、私は主にお会いしたという事実をヨハネの心に深く刻みつけました。

ヨハネ自身が、目で見、耳で聞き、手で触った、とのちに告白しているとおりです(ヨハネ1:1)。

「神の国」

「イエスは彼らに言われた。『さあ来て、朝の食事をしなさい。』弟子たちは主であることを知っていたので、だれも『あなたはどなたですか。』とあえて尋ねる者はいなかった。イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。」 (ヨハネの福音書21:12〜13)

弟子たちが漁の後片付けをあらかた終えた頃、主イエスは「さあ」とせ急かせるようにして一同を食事に招かれました。弟子たちが炭火を取り囲むように座った時、イエスご自身も近づかれ、パンと魚とを彼らにお与えになりました。

それは、いつもと変わらぬ漁師たちの朝の食事風景でした。事実、岸辺のそこかしこに炭火を囲み、暖をとり、疲れをいやしながら食事に興じる漁師たちの姿がありました。

傍(はた)から見れば、弟子たちの一群も何の変哲もないただの一つの漁師たちの朝の集いに過ぎなかったことでしょう。弟子たちの間でこそ張り詰めた厳かな雰囲気は感じ取れましたが、周りから見る分には何一つ神秘的なものはありませんでした。

しかし、弟子たちには、自分たちの群れがこの風景の中にあっていかに異質のものであるかがよく分かっていました。自分たちの中心に復活の主イエスがおられるのです。主は、この世界の人そのままに食事の用意をし、食物を弟子たちに分け与えておられました。けれども、それは同時に、周囲の風景には決して溶け込むはずのない、まったく別世界の出来事でもありました。

主イエスはいつも語っておられました、「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。…いいですか。神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:20〜21)。

弟子たちは今、このことばの意味を初めて実感したのでした。復活の主イエスがおられる、今、この時、ここに、私たちの内に、私たちと共に、神の国があるのだ、と。「神の国とは何よりも、聖霊の力強い再生活動によって、罪人たちの心の中に確立され認められている神の支配のことであって、救いの測り知れない祝福を約束するものである」(ベルコフ)。

弟子たちのうち多くの者は、やがて地中海片隅の故郷を離れ、紺碧のギリシャの海を旅し、異教の大神殿に直面し、大都会に侵入し、伝道活動を進めます。彼らがその生涯にわたる信仰と伝道と迫害の生活の中で、いかなる風景にも惑わされることなく、真理の上にしっかりと立ち続けることができたのは、この時、見慣れたガリラヤの風景の中に、そこに確かに存在する神の国を認めたからです。

「イエスが、死人の中からよみがえってから、弟子たちにご自分を現わされたのは、すでにこれで三度目である」(14節)。

「ラブ・ストーリー」

「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。…』」 (ヨハネの福音書21:15)

およそこの世にどれほどの小説・映画・芝居があろうと、そこで展開する物語の基本は、「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」です。少年が少女と出会う…。すべての物語(ロマンス)はこのテーマに帰っていきます。作者はさまざまに趣向を凝らし、設定を変え、登場人物を増やし、筋を複雑多岐にします。しかし結局すべては、一人の少年と少女が出会い、愛し合い、ささいなことから傷付け合い、別れ、そして再会する、愛の物語 へと還元するのです。

それは、とりもなおさず私たちの人生が、基本でそうした構造を持つからです。「芸術は自然を模倣する」といいます。創造主なる神と人との(創造による)出会いと(人間の側の罪による)別れ、親と子との(誕生による)出会いと(子の自立による)別れ。人類の記憶の根底に染み付いているこうした原初的な構造が、芸術における不断の<出会いと別れと再会(への希求)のモチーフ>につながっていくのでしょう。

出会いがあり、別れがあり、そしてそれが二度と巡り合うことなく終わることもあれば、再び出会い、初めからやり直すことが可能にされることもあります。

現実には、多くの場合に、別れは再会にはつながりません。だからこそなおさら、せめて物語世界の中でだけ私たちの夢・あこがれとしての「再会」を甘美に描こうとするのでしょう。

けれども、現実世界の中での真実の再会も、ときにありえます。

主イエスはかつて、ヨハネの子シモンという一人の若者に声をかけ、福音を伝える働きに召してくださいました。やがて彼は「ケパ(ペテロ)」という名をいただき、弟子としての歩みを本格的に始めました(ヨハネ1:42)。

その3年後、今、自分の弱さと罪と挫折感におののく一人の若者がいます。冷ややかな朝の大気と、芳ばしいパンと魚と、適度な時の流れが、彼の心のほてり――夜明けの湖岸に主イエスを見出してからの熱に浮かされたような激しい行動を生んだほてり――を静めました。

彼、ペテロは、いよいよその時が来たことを悟ります。主イエスが、ペテロの裏切りに触れられる時、ペテロ自身ももはや一時の感情に駆られてではなく、自分の自覚的・主体的決断によって語らなければならないその時が、です。

主イエスのおことばは、その場に登場なさった時と同様思いがけないものでした。「ヨハネの子シモン」。この瞬間、主はペテロの一切の過ちを赦してくださいました。ペテロという名で行われた過去の一切を忘れてくださったかのようでした。ヨハネの子シモンという名の青年にまるで初めて出会った者であるかのようでした。

ペテロという名前を帯びていた時の失敗をすべて忘れてくださったかのように、もう一度新しいスタート・ラインにこの青年を立たせてくださったのです。

「義とされるとは、神がその人を何から何までまったく義であるかのように(今までも、これからも罪を犯さない者であるかのように)見なし、そう扱われることを意味します」(ジョン・ホワイト『新信仰生活入門』)。

だからといって、主イエスはペテロの裏切り行為に対して何もなさらなかったのではありません。ペテロへの大手術に取りかかる前に、主は彼に対する変わることのない愛を確認なさったのです。

「愛の確認」

「…イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、これら以上にわたしを愛しますか』」 (ヨハネの福音書21:15)

ペテロに対する変わることのない愛を確認なさった主イエスが、ペテロの側に要求したのは、「信仰」ではありませんでした。

信仰については、ペテロはすでに信仰者ですし、主イエスによって「あなたの信仰がなくならないように 、あなたのために祈りました」(ルカ22:32)と語られているからです。

主イエスがペテロに要求なさったのは、従うための「力」でもありませんでした。

主イエスに従うために必要な「力」も、それは人の内から出るというより、「助け主」であられる聖霊を通して神ご自身から与えられるもの、と主イエスはすでに約束なさっておられたからです(ヨハネ14章)。

イエスが要求なさったのは、ペテロの側からの「愛」でした。彼に新しい(とはいえ、かつてとほぼ同質の)使命を与え、彼を立ち上がらせるに必要なのは、ペテロ自身の主体的な責任に基づく「愛の告白」でした。それも、罪の告白と悔い改めの思いを含んだ愛の告白が必要でした。

その愛の告白を引き出すために、主イエスは、繊細なガラス細工を細心の注意を払って取り扱う時のように、精密・正確な手術をペテロに対して施されました。

らくだは負わせられるだけの荷を負わされた後では、羽毛一本乗せただけでくずおれるといいます。すでに裏切りにおいて、そして昨夜来の不毛の漁において、絶望と無力感におおわれているペテロを、最終的に打ちのめしてしまわないために、けれども新しい使命に彼を立たせるには徹底的な手術を施さなければならないために、主イエスは結局のところ、ペテロの裏切りに直接言及することなく、その裏切りの問題を解決する目的を達成なさろうとしておられるのです。

前例はあります。かつて主イエスは、自らの罪と恥に震えている女性に対して、彼女の犯した罪に直接言及することなく、けれども罪の悔い改めの要求と、悔い改めの確認、そして罪の赦しの宣言とをきっちりとなさって、女性を人生の新しい局面に立たせられました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:11)。

主イエスは、ペテロに対しても同じように、裏切りに直接言及することなく、その問題を解決なさろうとしておられます。

それが「あなたは、これら以上にわたしを愛しますか」という問いかけです。

この問いは、口語訳聖書では「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」、新改訳聖書では「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」、新共同訳聖書では「この人以上にわたしを愛しているか」と訳されています。

「…以上に」という比較表現が何と何を比較しているのか、新改訳と新共同訳は漠然とした形で訳し、口語訳は明確に一つの解釈を施して訳しています。

詳しくは次週記しますが、主イエスのこの問いかけは、ペテロの心の内部でのイエスに対する愛の比重を問いかけるものです。

「最高の愛」

「イエスはシモン・ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたは、これら以上にわたしを愛しますか』。」 (ヨハネの福音書21:15)

口語訳聖書で「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」、新改訳で「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」、新共同訳で「この人以上にわたしを愛しているか」と訳されている15節の問いは、直訳すると「これら以上にわたしを愛するか」という問いかけです。

この問いかけの意味は、二通りにとることができます。

1、「あなたは、この人たち(他の弟子たち)がわたしを愛する以上に、たしを愛しますか」。これは、口語訳聖書が採用している訳で、この場合は「この人たち」と「あなた」との間で、イエスへの愛の大きさが比較されています。

2、「あなたは、これらを愛する以上にわたしを愛しますか」。この場合は、ペテロ自身の内での「これら」と「わたし」への愛の大きさが比較されています。その際、「これら」とは、周囲にいる他の弟子たちのことであるかもしれませんし(その場合「この人たち」という男性代名詞)、あるいは、今の今までペテロが使っていた網や舟、そして漁という仕事や故郷ガリラヤ等々、過去の人生においてペテロが愛を傾けていたすべてのものごとを指しているのかもしれません(その場合「これら」という中性代名詞)。

主イエスはいったいどちらの意味で語られたのでしょうか。それとも、わざと漠然とした言い方をなさって、ペテロ自身に問いかけの意味することを(彼自身の心のわだかまりと関わらせて)選択させようとなさったのでしょうか。

容易に推測できるように、人の心の奥底を思いやることのできる繊細な主イエスは、ご自身に対する愛を仲間の間で比較し、競わせるようなことはなさらないでしょう。「お前のわたしへの愛は、彼(あるいは彼女)のわたしへの愛よりも大きいか」と問われて、自信をもって「はい」と答えることのできる人などいないでしょう。答えることができたとしたら、自分の心の中も、ダシに使われてしまった仲間の気持ちも正しく評価できない人ではないでしょうか。

いや、だからこそ、かつて「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」(マタイ26:35)と仲間を出し抜いて大言壮語したペテロに猛省をうながされたのだ、とも言えます。しかし、その場合、反省させられるペテロはいいとして、まさにダシに使われた他の弟子たちの気持ちはどうでしょうか。主イエスが皆のいる前で(いないところであっても)そのようなことを無神経に問いかけることをなさるでしょうか。そう考えると、口語訳のように訳すことはできないでしょう。

文章表現上も、原文には「あなた」という語はなく、比較されているのは「これら以上にわたしを」です。

ペテロを絶望させるには昨夜の不毛な漁で充分でした。愛する主イエスなしに自分は何者になることもできない、とつくづく悟らされたはずです。「ヨハネの子シモン」との呼びかけが、ペテロを新しいスタート台に立たせました。いま問われているのは、ペテロ自身の心の中に、どんなものへの愛にも勝る最高の愛が主イエスのために用意されているか、でした。

他人との比較ではなく、自分自身のこととして、人は自分の全存在をかけ責任をもって、この問いに答えるべきです。

「愛する者の使命」

「ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』」 (ヨハネの福音書21:15)

主イエスに「これら以上にわたしを愛するか」と、自分の心のうちでの主に対する愛の比重を問われたペテロは、もはや昔日のように大言壮語する者ではありませんでした。自分の心に頼ったり、自分の感情を拠り所としたりすることが、いかに愚かしく、あてにならず、結果として偽りを言うことになるのかを、これまでの一連の出来事によって深く悟らされていたからです。

自分の今のちっぽけな愛をそのまま受けとめて評価してくださる神なるイエスご自身に判断をお任せすることに、確かな拠り所を見出しました。わずかレプタ銅貨2つの献げ物すら最大の献げ物と評価なさる神のお取り扱い(ルカ21:1〜4)に、自分の思いをゆだねたのです。

主イエスとペテロの間で3回繰り返されるこの問答において、主イエスが「愛するか」と問われる時、2度目までは「アガパオー」(「神の愛」を表わす「アガペー」の動詞形)が用いられ、それに答えてペテロが「愛します」と言う時、「フィレオー」(どちらかといえば人間的(ヒューマン)な愛・情緒的な愛を表わす)が原文では使われています(3度目はどちらも「フィレオー」)。

私自身はこの使い分けにそれほど意味を見出しませんが、それでもあえて言えば、「愛します」という自分の気持ちに「そのことはあなたがご存知のとおりです。もはや大言壮語はできません。あなたによって私のささやかな愛を評価していただくしかありません」と付け加えざるを得なかったペテロのありのままの姿を読み取らせようとして、著者ヨハネによって使い分けられているのでしょう。

そのペテロに主は「わたしの小羊を飼いなさい」と、命令されました。このことばを、かつてペテロにかけられた「人間をとる漁師にしてあげよう」(マタイ4:19)との招きのことばと比較して、職務の違いが説明されることがあります。イエスのご在世中は「漁をする」伝道の働きであったのが、イエスが天に帰られたのちは「小羊を飼う」牧会の働きに召されたのだ、と説明されるのです。

それはそのとおりです。ただ、私たちが確認してきたことからすれば、ここではペテロをもう一度新しく出会った者であるかのように取り扱い、その愛を確認し、そして新しい使命を託すかのようにして、彼を再び使徒として召された、と理解することができるでしょう。「あれがだめならこれ」といった変更をなさったわけではなく、悔い改めの悲しみにひたる者を限りなく愛し、赦し、立ち上がらせ、召してくださる、主のいつくしみとやさしさを見ることができます。(詳しくは次回見ます。)

基本的に同じ召しであることは、この回答をイエスが「わたしに従いなさい」(19節)という命令で締めくくられたことからも明らかです。これは、最初の招き「わたしについて来なさい」(マタイ4:19前半)と同じ命令です。

愛の告白は、それだけで済みはしません。一つの決断を要求します。そしてその決断は、根本的にはクリスチャンならだれでも同じものであるべきです。「キリストに従うこと」です。

「傷をいやし、罪を覆う」

「イエスは再び彼に言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロはイエスに言った。『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を牧しなさい。』イエスは三度ペテロに言われた。『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。』ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか。』と言われたので、心を痛めてイエスに言った。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。』イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』」 (ヨハネの福音書21:16〜17)

悔い改めの悲しみにひたる者をかぎりなく愛し、赦される主イエスのいつくしみとやさしさは、同じ問答を3度繰り返されたことにも現れています。

イエスご自身は、ペテロの裏切りに直接言及しようとは決してなさいませんでした。ペテロが最初に愛を告白した時(15節)、すべてが新しくスタートし直されていたからです。ただ、イエスは、ペテロの心の深い傷口にいやしの薬を塗り込めていかれました。それが3回にわたる問いかけです。

3回同じ問いかけがなされた時、ペテロは自分の罪がまったく覆われて、今後は一切問われることがないことを悟りました。3度の裏切りは、3度の問いかけによって、ペテロの心の中からも拭い去られていったのです。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである」(ローマ4:7〜8)。

この問いかけの中でペテロの味わった「心の痛み(悲しみ)」(17節)は、人が主にお会いし、自分の罪・汚れを知らされ、それにもかかわらずその自分に対していやしと赦しの愛が注がれていることを知った時に味わう心の痛み・悲しみです。心が針刺されるように痛く、深い悲しみに覆われてはいるが、その向こうにキリストにある解決を見出すといったたぐいの悲しみです。「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(コリント7:10)とか、「悲しむ者は幸いです」(マタイ5:4)と語られている際の「悲しみ」です。

後にペテロは自分の書いた手紙の中でこう語っています、「キリストは…自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです」(第一ペテロ2:22〜24)と。「あなたがた」ではなく、ほかでもない「私がいやされた」ということこそ、ペテロがこの手紙を書きながら、絶叫したかったことでしょう。

「キリストの打ち傷によって、私の罪は覆われた。私はいやされた」とペテロは、この春の、この朝の、このガリラヤ湖畔での出来事を終生忘れることなく、信仰告白し続けたのです。

「キリストの証人」

「『まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。』これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。『わたしに従いなさい。』」 (ヨハネの福音書21:18〜19)

復活の主イエスによっていやされ立たされたペテロは、ついに新しい生涯を歩き始めます。それは、キリストの証人としての生涯でした。

ペテロは自分のことを、ときには「イエスの復活の証人」(使徒1:22)と呼び、ときには「キリストの苦難の証人」(第一ペテロ5:1)と語ります(その他、使徒2:32、3:15、5:32、10:41等)。ペテロの生涯を「証人としての生涯」たらしめたのは、彼の一生が勝利の人生であったことです。

「証人の生活は、勝利の生活でなければならない。証人はただ不義に対する勝利によってのみ、証人でありうる。しかし、キリストの証人は、自分自身が敗北者であることを知る者である。神の前に限りなくへりくだる者である。彼が自らの力によって勝つのではなく、キリストが彼にあって勝つのだということを、知る者である。人は、みな敗北する。キリストのみが、常に勝利者である。キリストの証人は、こうして、人間の必然的敗北と、キリストの必然的勝利とを指摘することによって、過ぎゆく時間のなかで、過ぎゆかない永遠を指さす者である」(柳田友信『ペテロの手紙の研究』)。

ペテロの生涯は、キリスト者が勝利の人生を送ることができるのは、キリストの苦難に自らもあずかることによってのみ可能であることを、指し示すものでした。「…むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです」(第一ペテロ4:13)。

初代教会の一致した伝承では、ペテロは紀元61年頃、ローマに行き、そこで殉教の死を遂げました。最初に十字架につけられた自分の妻に「主を覚えよ」と励まし、自分自身は、主のごとくに死ぬにはふさわしくないからと、自ら願って頭を下にして逆さに十字架につけられたといいます。

最も弱い者の生涯にキリストのみわざが確かに現わされたのです。

「それぞれの人生」

「ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、『主よ。あなたを裏切る者はだれですか。』と言った者である。ペテロは彼を見て、イエスに言った。『主よ。この人はどうですか。』イエスはペテロに言われた。『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。』そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。』と言われたのである。これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。」 (ヨハネの福音書21:20〜25)

使徒にして長老ヨハネは、主イエスの御生涯についての自分の福音書を書き上げた後、そのあとがきのようにして、今はすでに世を去って主のみもとに帰った、なつかしい弟子仲間ペテロの個人的な思い出話を書き添えました。

このペテロのエピソードに匹敵する物語は、ヨハネを含めた他の弟子たちの一人ひとりについてもあったはずです。それらを書き始めたら切りがありません。書くべきことは無限にあります。著者ヨハネが「主の愛する弟子」として自分の福音書に登場させた、50年以上前の著者自身であるこの青年は、自分の目撃談を、真実の証しを、いつまでも語り続けたことでしょう。

彼の証しが真実であることは、50年後の本人であるヨハネ自身が一番よく知っています。けれども、ものには終わりがあります。そろそろ彼は、自分の証しを終わりにしなければなりません。(舞台裏を明かしますが、今ここで何のことを書いているのかというと、ヨハネ21:24〜25の「彼のあかしが真実であることを私たちは知っている」云々のことばを「著者であるヨハネのことを三人称で表現しているので、この24〜25節のことばは、著者以外の第三者による追記である」というような、小学生が足し算引き算の勉強をしているような、生真面目だが愚かしい理解の仕方をしない、ということです。25節まで全部含めて著者ヨハネ自身のことばです。)

著者ヨハネは、主イエスがいかに個人個人を愛し、それぞれをいやし、立たせ、使命を与えられたかを、ごくわずかなエピソードに代表させて記録にとどめたのです。

しかし、「個人個人それぞれに」とは、キリスト者としての人生は一人ひとりで違うということも意味します。

「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(22節)。

あの春の日、そのことを諭されたペテロは、食事ののち、主イエスにしたがって、湖のほとりをどこまでも歩いて行きました。主によって立たされたペテロの隊の進軍の小太鼓は、歴史の中を雄々しく進み、遠くかすかに消えていきました。

ヨハネもまた、自分の旅装を整え、主と共に、主にしたがって、自分の行軍に旅立たなければならないことを悟ります。それは、だれのものでもない、自分の旅です。

以前、ある劇団の20年史を見ていて、このような文章に出会いました(その劇団も新劇の劇団にふさわしく離合集散を繰り返したのですが)、「…退団した側は側で、そのエネルギーをバネに、自らの生きざまを進んでいけばいいのだ。…かつての不良仲間は40にしてまたそれぞれの道を這い出した。…男の旅は始まったばかりである。…」。

この世の離合集散とはまったく違いますが、クリスチャンもいつかは自分の道を進んで行かなければならないのです。信仰生活初期の楽しい祭りの時期はやがて終わり、人はそれぞれ自分に与えられた道があることを知らされます。自分の十字架を負って、その道を、死に至るまで、忠実に、進むのです。

ペテロも、他の弟子たちもすでに逝きました。それぞれ主に従い、勝利の賛歌を奏でながら天に凱旋して行きました。

自分たちひ弱な弟子たちを勝利に導いた源泉である主イエスとの出会いを記し終えた今、ヨハネはより高らかな凱旋の歌「ヨハネの黙示録」執筆へと向かいます。