トピック 秋の集会'96

「魂の夜明け」  大竹 海二(杉並教会 牧師)

またこう話された。
「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『おとうさん、私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大飢饉が起こり、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
立って、父の所に行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにして下さい。」』
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』
そして彼らは祝宴を始めた。
(ルカによる福音書15章11〜24節)

皆様、こんにちは。さきほどおいしいご飯をいっぱい頂いた後に、飢え死にしそうな男の話なんて、話す方も聞く方も全然ぴんとこないと思いますけれどお許し下さい。

自己紹介でもお話ししましたが、私は大学2年で中退しまして、1年間麻雀に狂ったことがありましたが、当時、杉並区の阿佐ヶ谷で警察官をしていた兄と同居してました。兄は大変真面目な男で、今日の聖書箇所のすぐ後に、超真面目な兄が出てくるのですが、私はいつもこの話をする度に、自分の兄と私のことを彷彿としながら、いったい自分の話をしているのだか、聖書の話をしているのだか、分からなくなってしまうんです。

「災い転じて福となる。」という言葉があります。災いによって多くのことを学び知恵が与えられる、というんですね。ですから災いあるいは挫折というものは、いいものであると言うことができます。「同病相哀れむ。」という言葉がありますが、つらい経験をすると、同じような経験をした方のつらさが分かってくる、という恵みもあります。

この聖書箇所も、しこたまな挫折の人生を送りました一人の人間が、この挫折の中から見いだしたもの、それは何だったんだろうか、ということを教えてくれます。

この弟は、お父さんが生きているうちに遺産の分け前を要求し、すぐ家を飛び出しました。おそらく、お父さんの言うことを聞いて生きていくよりも、自分の思いものままに生きていく方が幸せだ、と思ったのではないでしょうか。その結果、親を捨てて、家の将来も省みないで家を飛び出したわけです。ところが、いざ遠い国に到着してみると、彼は心のコントロールを、一切失ってしまいました。まるでブレーキのない車、舵を失った船みたいになります。好き放題の生き方をして、湯水のように財産を使ったとあります。おそらく、彼の金目当てに、死体に群がるハイエナのように、友達顔をした人々が彼の所に近寄ってきて、むしるだけむしって、そして去っていった、という大変な生活を送った一人の男が描かれています。

そして、何もかも使い果たした後に、大飢饉が起こり、とうとう彼は食べるものにも困り始めた、とあります。かって、あれほどにこにこと近づいてきた友人たちも、金が一銭も無くなった彼からは、一人残らず去っていった。金があるから利用価値があったこの男も金がないとなると唯の厄介者である。これ以上付き合うのは損ですから、そうなればただ去るのみ、という実に寒々とした人生の縮図です。

以前、新潟の教会にご奉仕に行った時に、一人の大学生が証をしてくれました。彼は私と同じ様に少しびっこを引いていたものですから、どうしたんだろうと思っていましたら、彼がその集会での証の中で、その訳を教えてくれました。彼が中学生の頃に、足の骨が腐る病気になり、足を切断しなければいけないということになったそうです。ですから彼は義足で歩いていたのですが、そのことを知らされた時に、大変なショックを受けました。でも、たとえ自分の足が片方無くなっても、僕には素晴らしい友達がたくさんいる。そのことに一縷の望みをかけて手術を受けた彼は、1か月間ある意味で幸せでした。なぜなら、毎日のように級友が来たからです。ところが、2ヶ月、3ヶ月経ちますと、毎日のように来ていた級友が1人去り、2人去り、何ヶ月か後には1人も来なくなってしまった、という経験をしました。そして、「私には友人がいる」という、その一つに望みをかけていた、その望みが絶たれて、彼は本当に絶望的な思いを味わったそうです。そういう中から彼は教会に導かれて、キリストを信じるようになったという、そんな証をしてくれました。

級友にしても、何か話して楽しい友人ならば、いくらでも友達になるけども、この兄弟と付き合っていればいつも病院に行かなければならない、行けば何か頼まれてしまう、というような思いを持ってしまったんでしょうか。そばにいると損をする、この人の友達になったら、ただ自分がはぎ取られるだけ、という思いを少しでも持ってしまうと、去ってしまう、そういう価値観で、人間がまるで商取引をするみたいに、お互いが生きている、その冷たい現実をこの兄弟は味わった、そういう証だったと思います。

この弟はとうとう豚飼いになりました。ユダヤ人にとって、豚飼いは最低の働きですね。落ちるところまで落ちた、ということです。しかも、その落ちるところで見たものは何かというと、毎日たくさんのいなご豆が与えられている、まるまると太った豚なんです。しかし、今にも飢え死にしそうな痩せこけた自分には、誰一人食べ物を与えようとはしないという現実でした。それもそのはずで、豚は太れば太るほど商品価値が上がりますが、この名も知れぬうらぶれた男は、付き合えば付き合うほど損をする訳です。そういう損得の打算が働くこの世の中にあっては、何も特別な出来事ではありません。

けれども、この極限に来て、ついに彼は「我に返った。」とあります。ある人はこれを、この弟息子の「魂の夜明けの到来。」、ここで初めて朝日が射し込んだ、というんでしょうか、真っ暗な魂にひとつの光が入ってきた、それがこの「我に返った」という言葉であると表現します。ということは逆に言うと、それまでは気を失っていた、見るものも見ていなかった、真っ暗な世界で心閉ざして生きてきた、光の何もなかった世界で彼は生きていた、ということの表現であります。では、彼はその魂の夜明けを迎えて、いったい何に気付いたのでしょうか。それが今回のテーマでございます。

魂の夜明けで見たもの、それは2つあります。ひとつは父の豊かさ、もうひとつは自分の悲惨さであります。17節「しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。』」彼は我に返るまで、父のことは意識の外に放り出していたのでしょう。だから、遠くへ、遠くへ、お父さんの「お」のにおいもないところへ行こうとするわけであります。この息子は父親のことを忘れよう忘れようとした。しかし、ドン底にぶち当たった彼の心に突然光が射して、何が見えてきたのかというと、お父さんの姿だったんです。豊かなお父さんの姿なんです。このお父さんの雇い人すらたらふく食べているではないか、こういう風に思ったんです。人間は本当に惨めな経験をしないと、本当に豊かな世界、天国、あるいは我々を造って下さった天の父なる神のことを思わないのか、と思わされてしまいます。つまり、それほど自分は豊かなんだ、私は欠けてない、と思って生きているのかなと思うのであります。

ある話に、一人の男がいつも朝から晩まで港の向こうにある水平線を見ていると言うんですね。貨物船が来る度に、「ああ、私の船は今日も1日無事に戻ってきた。」と思い、出発する船を見ては「どうかあの船が、無事に戻ってくるように。」と願っていたそうです。ところが、本当は彼は乞食同然で、自分がその船舶のオーナーであると思っている、誇大妄想狂の男だったというんです。

これは笑えない話だと思います。私たちは本当に豊かでしょうか。それとも豊かだと、誇大妄想を描いているのではないでしょうか。誰かに挨拶したときに挨拶されないと、もうその人を憎んでしまうという思いは無いでしょうか。「挨拶した人に挨拶したからといって、それが何の誉れになるでしょう。」と、キリストは教えられます。挨拶ひとつで人間関係がだめになる、そういう惨めさというものを、実は私たちは抱えているのではないか、ということを見つめるべきではないでしょうか。

彼は、雇い人すらたらふく食べているという、故郷の豊かさを思い出しました。そして、それを思い出した途端に、その豊かさに比べての自分の貧しさという現実を、しっかりと見つめさせられました。「それなのに、息子である私は、ここで飢え死にしそうだ。」と告白しています。実は、湯水のようにお金を使えば最後はこうなる、ということは火を見るように明らかですが、こうなるまで彼はその生き方を変えなかった訳ですね。何とかなる、と思ったのでしょうか。そして金が無くなっても友情がある、と思ったのでしょうか。あるいは、何が起きても自分の力でやっていける、と思ったのでしょうか。いずれにしろ、このときまで気を失っていたとしか、言いようがありません。このように、我に返る前の弟息子は、全てのことを見ていたようで、実は何も見ていないで生きていた、と言わざるを得ない生き方をしていました。

彼はこれほどの挫折を経て、父の豊かさと自分の惨めさに気付いた、ということでは大変良かったといえます。そうでないと、本当に、まるまると太った豚がいる小屋の中で誰の目にも止まらないで死んでいくという世界で生きてしまうからです。打算だけで生きる寒々とした世界で、「ああ、今日も1日豚の餌にありつけた。」と言って、かすかなそのことに喜びを見いだして、いつの間にか命が朽ち果てていく、そんな世界から抜け出せなかったのです。ですから、父の驚くほどの豊かさと、自分のあまりの惨めさに気付いたことは、良かったことだと思います。

そこでこの弟は、言うべき言葉を考えて父の所へ帰っていった、とあります。18節「立って、父のところへ行って、こう言おう。『おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにして下さい。』」彼は、「息子と呼ばれる資格がない。」と言っています。お父さんの財産を全部放蕩に使ったからです。それに、父親の名声にも傷を付けたことになります。家を省みることもせず、黙って家を出たんですから、どれだけ心配をかけたことか分かりません。どれひとつとっても、息子と呼ばれる資格はありませんでした。

そしてそのようにして、神が与えて下さった自分の父に罪を犯したということは、実はその父を与えて下さった天の神にも罪を犯したということを、彼は知りました。父への罪は神への罪でもあった、ということを踏まえて、何よりも私は神を無視して生きていた、というふうに自分の罪を非常に深く覚えたようであります。人間への罪は、即、神への罪でもあるということが彼の言葉からも教えられます。

さてこうして、彼は出発しました。「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」この20節に、放蕩息子の喩えのクライマックスが描かれております。父親の方が彼を見つけたとあります。大体、聖書には「羊飼いを見つけた羊の話。」は載ってないんですね、必ず「迷子の羊を見つけるまで探す羊飼い。」の話なんです。見つけるのは羊飼いなんですね。それを本当に、私たちのこととして思うべきなんです。我々は自分がいかにも神様を求めて、神様をつかんだというふうに思いがちですけど、そんなことは絶対にないんです。どんなに自分が神様を求めたようでも、それは、神様が私たちを見つけるまで探す御業の中で、そのような気持ちを起こされてなっただけであって、私が神様をつかんだなんてことは一生言えないことなんですね。「父親の方が彼を見つけた。」、これは聖書の大真理であります。

ここに、弟息子が家を出てからどんなに深い悲しみを持って、このときまで息子の帰りを待っていたか、という父の心がありますね。そして、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした、とあります。本当に感動的ですね。今まで、彼が飢え死にしそうになっても世間の誰もが、指一本触れようとしなかったのです。それなのに、この父は、彼をかわいそうに思って、自分の方から駆け寄って、両腕一杯に息子を抱えて、何度も何度も口づけした、と言うんですね。私だったらどうでしょうかね。帰ってきた息子に、「金返せ。」と言うか、そこまできつくなくても、「もう少しましな人間になってから帰ってこい。」くらいは言うんじゃないでしょうか。

今まで、息子が住んでいた世界、それは利用価値があればいくらでも親しそうな顔をして近寄ってくるけれども、一端、利用価値が無くなったとたん、ぽいっと捨ててしまう、そういった世界で息子は生きていました。ギブアンドテイクの冷たい世界です。そういう冷たい世界で挫折して、身も心も凍り付いた彼に、このときまるで熱風を吹き付けるかのようにお父さんは歓迎しています。

そこで、彼は前から言おうと思っていたことを、父の胸に埋まりながら語るんですね。「息子は言った。『お父さん、私は天に対して罪を犯し、また、あなたの前に罪を犯しました。もう私はあなたの子と呼ばれる資格はありません。』」「雇い人の一人に」と、言おうとした。しかし、父はそれ以上言わせませんでした。そして、口から泡をとばさんばかりに、次のような驚くことを言っています。「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来てこの子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせない。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」

なんと、この惨めな弟に最上の着物を、と言うのです、そして肥えた子牛を、と言うのです。弟息子は「もう、あなたの子と呼ばれる資格はない。」と言い切りましたが、父は「この子に着せよ。この息子は死んだのが生き返ったのだ。」と言ってますね。この、息子の意識とお父さんの意識のこの差、私たちはこれをしっかりと受け止めるべきです。こんな自分を神の子なんて、とてもとてもと、一見謙遜したようなことを、言ったり思ったりします。けれども、父なる神は「あなたは我が子だ。あなたは私の息子だ、娘だ。」と心から仰るお方です。その方の前で、「私はあなたの子じゃない云々」なんて、あまり言わない方がいいかもしれませんね。「あなたの前で私はあなたの子供です。」とうことを本当に信仰をもって、喜びをもって告白すべき言葉、いや、その言葉をこそ、父は待っていらっしゃるということを覚えるのです。

このとき父は、この弟をただ息子として迎えている。あの熱い抱擁は、慈愛に満ちた父が自分の息子を愛する息子として迎えたということですね。この言葉を聞いたときに、初めて弟息子は本当の自分の罪に気付かされたと思います。自分が家を出て以来、この父に自分が死んでしまったという、これほどの悲しみを与えていたのか、ということです。そのことに気付かされたでしょう。

私は以前、父が高校教師をしていた頃の教え子の家に行ったことがあります。その家は、横浜にある丘の中腹の真っ白な家でした。通された部屋は、ちょうど高校生がくつろげるような洋風の部屋でした。その夫婦は50代半ばくらいの方でしたから、その年代には似合わない部屋でした。話を伺ってみますと、一人息子が亡くなって、それも、どうも自殺されたようなんですね。はっきりとは分かりませんでしたがどうも一人息子さんが高校生の頃に自殺したようなんです。部屋には息子さんが小さいときに描いた絵や、小さいときの写真が飾ってあるんです。そのご夫婦がおっしゃるには、家が真っ白くしてあるのは、天国の息子さんがもし見たら、自分の家だとすぐ分かるようにしてあるんだと言うんです。また、その部屋も、もし息子が生きて戻ったら、高校生の男の子がくつろげて、喜ぶだろうなと思う部屋にしてあるというのです。

そのご夫婦は息子さんに死なれて、悲しいという言葉を口にはしませんでしたが、それ以上にお二人の悲しみ、息子さんに死なれた心の痛みが、心臓をきりで突き刺されるように教えられました。だから、もし、亡くなった息子さんが生きて帰ってきたら、このご夫婦はきっと気が狂ったように喜ぶだろうと思うんですね。「ああ、死んでいたのが生き返ったか」と、それほど待っていた親ならば、本当に喜んだだろうなと思うんです。

この弟息子も、そんな悲しみをこの父に与えていたということを、彼はこの言葉を通して、初めて自分が父から離れて生きてたという、その罪が、そこで放蕩したとか金を使ったとか、ということ以上にお父さんのもとを離れて生きていたことの罪ということを教えられたと思います。そしてそれとともに、そんな罪を犯した、息子として失格者でしかない者を、そのまま抱きしめて喜んでくれる父に接して、彼は素晴らしいものを発見したと思います。それは、「愛」というものです。ギブアンドテイクではない愛です。自分がどんなに惨めでも、いや惨めなら惨めほど、かわいそうにと、お父さんの方から走り寄って、抱きしめて、汚いまま抱きしめて下さる、そんな愛です。このような愛は、人間にありません。もし、皆さんの中に、苦しみ、悲しみ、試練というものがあったら、それはもしかすると、本当にギブアンドテイクの世界で生きていることから来る苦しみかもしれませんね。そして、この地上には絶対にない、自分がどんなに惨めでも、いや惨めなほど、かわいそうにと言って、そのまま抱きしめて下さる「愛の神様」を、そのつらい中から、心に迎えていただきたい、そう思うのであります。 

この愛は、この弟が豚小屋に落ちぶれるまで、一度も経験したことのない愛、この地上にない愛でありました。彼が挫折の中で見いだしたもの、魂の夜明けを迎えて本当に見いだしたものは、この愛です。豚小屋を出て、「そうだお父さんの元に帰ろう。」と、足を一歩踏み出したら、与えられた愛なのです。お父さんの方が駆け寄って与えて下さった愛なのです。この弟は、一歩踏み出しただけです。あとは何もしていません。そして、この愛は、この息子の心が冷え切っていることも、罪を犯した恥じらいも、友達に裏切られた思いも、豚以下に成り下がったむなしさも、全てご存じの上で、包み込んで、そして、「かわいそうに」と思って駆け寄ってくださったのです。

私の尊敬するある牧師が、子供の頃に、よく神社のお祭りに行ったそうです。で、ある時、その入り口に大人の乞食がいたので、かわいそうに思って、お母さんからもらったお小遣いをあげたのですが、相手が大人なので、恥ずかしくて、後ろ手にさっと投げていったそうです。それからは、そこで乞食を見る度に繰り返していたそうですが、その牧師が私に、「大竹君、そのようにして、君を神様が可哀想に思って救われたのだよ。」と言われました。そのとき、まだ、私は洗礼を受けてまもなくだったものですから、内心、「私はそんなに惨めではない」と、むっときたことを覚えております。でもそのむっときたことが、どんなに愚かしいことかということは、だんだん信仰生活を送っていくことによって教えられました。我々が救われるのは、ただ神様に可哀想に思われて救われていくのだ、ということを本当に覚えます。

さて、以上の喩えをしばらく見てきたわけですが、これは人間と神様の関係を描いた喩え話です。人間は自分を造ってくださった父なる神から、離れて生きているということです。そしてみんな自分の力で生きていけると思って、誇大妄想的に自分の力を過信して生きている。けれども、神から離れた心はどうしようもなく、もう、死んだような状態である。神を無視する心は人をも無視する。そしていつの間にか、人を見る目が、自分にとって損か得かという、自己中心の見方になってしまう。そういう世界の中で、挫折というのは繰り返し起こります。親友に裏切られることもある。期待していた労りが与えられなかったとか、冷たい仕打ちをされるとかは、そういう打算の世界ではむしろ当たり前です。

しかし、よく考えていただきたいのですが、この弟は単なる被害者でしょうか。実はお金を持って遠い町に行ってから、そのお金で友達を釣って、そして、お金で釣った友達を利用して、自分のむなしさを紛らわしていた。つまり、彼自身も金を武器にして人を利用していた、そういう生き方のなれの果てだったのではないでしょうか。つまり、彼は被害者であるとともに、加害者でもあった。ただ単に利用されていたのでなくて、利用もしていた。ですから加害者同士がお互いにかぶり付き合う、まるで野獣がうごめく密林のような、そういう世界で彼は生きていたのです。

17節の、「私はここで飢え死にしそうだ。」という言葉、これをこの午後の私どもの心の状態を表す言葉として、本当にしっかりと受け止めたいと思うんです。「このままでは飢え死にしそうだ。」、つまり、それはどういう意味かというと、このままだったら、ただ人を利用し自己中心にしか生きられない、愛というもののひとかけらもない心、そういう告白を神様の前でしたいのです。自分が本当に惨めだと言うことをですね。しかし、それとともに、こんな私のためにご自分の命を十字架にかけて、罪の許しの道を開き、そして、天の全ての祝福を、「我が子よ、我が子よ、私はあなたを我が子としてこの恵みを与える。」というように、我々には、本当に天の恵みを父なる神様が、子供として与えて下さる。そういう世界に私たちを迎えられるということを、聖書を通して教えられたいと思います。挫折の中から、この自分の心の問題をしっかりと見つめて、そして、そのような問題を持っているにもかかわらず、それらを全てご存じで、駆け寄って抱きしめて下さる、神様の愛をですね。

最後にひとつだけ、私の個人的な体験をお話しして終わりたいと思います。もう一カ所聖書をお読みします。ルカの23章34節、「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」

これは、2000年前、エルサレムの丘で十字架にかかった時の、キリストの最初の言葉です。今から2000年前、遠いエルサレムの出来事、これが今の自分の何の関係があるのか、という気持ちが当然してしまうものです。私もそうでした。信じてはみたものの、これはなかなかぴんと来ませんでした。しかし、ある人との出会いを通して、これが本当にリアルに分かってきました。

千葉の小倉台の教会の牧師に導かれてまもなく、母から電話があり、宝田愛という先生に会ってらっしゃいというんです。この方は、私が母のお腹にいた頃、無教会派の集会で母がお話を聞いた先生だというんです。それで東京のマンションの一室を訪ねました。そしたら出てきた方が、80歳くらいのおばあさんなんですが、開口一番、「私の祈りは、30年後に聞かれました。」と仰いました。初めて会った方にそんなこと言われて、びっくりしてしまいましたが、事情を伺うと、こう話してくださいました。「私はあなたがお母さんのお腹にいたときから、無事の誕生を祈りつづけました。あなたが生まれて40日目に小児麻痺になってからも、ずっと祈ってました。あなたがどうか神様の栄光を現わす人間になりますようにと。そうしたら、つい最近あなたが千葉で牧師をしていると聞いたので、お母さんに連絡して来てもらったのです。」

私はそんな話は全く知りませんでした。まして、生まれる前から祈って下さった方がいたなんてことは、そのとき初めて分かったのです。紆余曲折がありましたが、私が牧師に導かれるまでの人生の背後で、しかも私の生まれる前から、私のために祈って下さった方が目の前にいらっしゃる、ということだったんです。ああ、私はこの方の祈りの中で、イエス様に導かれたんだなあということを、痛切に教えられました。それから、しばらくして気付いたのが、先ほどの聖句です。 自分が生まれる前から私のために祈って下さって、そのお祈りの中で導かれた人生を私は生きていた。その祈って下さった方が目の前にいた。この方が「私の祈りは、30年後に聞かれました」と仰った。ということは、今から、2000年前、ゴルゴダの丘で、血が吹き出した途端に、「父よ彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、自分でわからない。」と、本当に訳も分からず生きていたこの自分の罪の許しを、祈って下さった方の祈りの中で、私の人生があった。1947年、あそこに生まれ、なんと神様は私の右足をねらってポリオ菌をまき散らし、そして小児麻痺にさせてでも、この祈りを成就させてくださった。この2000年前に私のために祈って下さった方が、確かにおられるというリアル感というものが、その方に会ってようやく、私は目が覚めるように教えられたんです。

もし、今、イエス様がここに登場されたらこう仰るのではないでしょうか。「2000年後に私の祈りは聞かれました。」。今日キリストから、そんな声をかけられる方もいらっしゃるんじゃないかと、つくづく思います。私は宝田先生に出会って、このイエス様に出会ってるということは、とてつもない出会いを与えられているんだなあ、と覚えました。

どんな言葉を使っても、このキリストとの出会いの素晴らしさは、誰も表現できないと思いますね。そういう出会いを皆さん一人一人はされていますし、もしまだイエス様のことが分からずここにいらっしゃている方は、今日、その出会いをなさるかもしれませんし、これからもこの講壇で語られる説教、御言葉を通して、この2000年前、十字架にかかって下さった方が、「父よ、あの人をお赦し下さい。彼は(彼女は)、何をしているのか自分で分からない。」と言って、十字架で死なれた、そして復活され、天に昇っていかれた方に必ず出会うようにと、お祈りさせていただきたいと思います。


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