すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです。
(マタイの福音書11章28〜30節)
皆様、お早うございます。只今ご紹介頂きました大竹と申します。私は1947年に新潟県の村上市で生まれました。生まれて40日目に小児麻痺を患いまして、今でも右足が不自由なんですけども、あるときキリストに出会い、キリストを救い主として受け入れ、いつの間にか牧師に導かれた人間です。キリストに出会う前は大学に一度入ったのをやめて、1年間麻雀に狂ったりして、将来は麻雀屋の主人になろうと決心したんですけども、どこでどう間違ったのか、こんな所で話をする人間になってしまい恐縮しています。
今、西船橋教会が会堂建設に取り組んでいらっしゃるという話を聞きまして、大変うれしく思います。私が以前おりました小倉台教会が会堂を建設したときは、アメリカから建設資材を取り寄せ、大工さんにも来てもらいました。言葉が思うように通じなくて苦労しましたが、資金面では銀行からではなく、教会債を募ることにしまして、最初に1530万円必要だったんですね。いくら集まるか固唾をのんで見守っていたのですが、最初の締め切りの時に、長老さんから「みなさん。1530万円集まりました!」という報告があったんですね。その時期に必要な金額がぴったり、1円の狂いもなく与えられたんです。私はそれを聞いて、ぞっとしました。ああ、主は生きておられるっていうことと、私たちが一所懸命建てようとしていたのですが、「私が建てるのだ」っていう神様の御声を聞かされたような気がいたしました。建設の最中はいろいろ大変でしたが、神様が建てて下さるということを教えてくれる出来事が最初にあったものですから、どこかに平安があり、守られて建てあげることができました。皆さんの会堂建設にも、おそらく一生忘れられないようなドラマがあるかと思いますが、そのドラマを通して、神様の御名があがめられることと思います。
今朝は、「人生の重荷」という題でお話をさせて頂きます。聖書箇所のマタイ11章28節から30節までは世界中で愛されている聖句です。私の知人で全盲の方がいます。大変音楽の才能に優れた方ですが、この方は生まれてすぐに、お産婆さんに大人用の点眼薬をかけられたために、目をやられて見えなくなってしまったんです。ですから成長するに従って、間違ったお産婆さんを憎み、自分を捨てて愛人のもとにいってしまった母親を憎み、自分の世話をしてくれるおばあちゃんまでも恨み、音楽に逃避するような人生を送っていました。しかし、ある時、自殺しようとして井戸に飛び込もうとした瞬間に、後ろから羽交い締めにされてぐいっと助けられて、それから教会に通い始めたそうです。あるときにこのマタイ11章28節の言葉「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます」を聞いて、彼はキリストを信じました。彼はこう証してくれました。「今までこんなことを言ってくれた人は世界で唯1人だけでした。この方が初めて『私があなたがたを休ませてあげます。』と言って下さったのです。」
ところで、この箇所をみる前に、この箇所に光を与えてくれると思う部分をみておきたいと思います。20節あたりからみていきますと、実はイエス様ご自身が深いうめき声を出して苦しんでおられる、そういう言葉が書かれています。「ああ、コラジン、ああ、ベッサイダ」という深い嘆きの言葉をキリストは出しています。では、なぜキリストはこのように嘆かれたのでしょうか。それは「数々の力あるわざの行なわれた町々が悔い改めなかったので、」とマタイは書いています。何をやってもだめという状態だったようです。11章の5節には「盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が述べ伝えられている」とあります。こんな驚くことがなされておりましたのに、町の人たちは悔い改めなかった。17節に「笛吹けど踊らず」とありますね。どんなに喜ばしい神からのメッセージを語っても指1本踊らなかったというのです。
キリストは人間を救いに来られました。人間の罪を背負って身代わりに死ぬために来られました。そしてそのことを信じさせるためにもいろいろな奇跡がなされました。それをどんなに耳で聞いても目で見ても「だからどうした」とうそぶくだけの人間たちだった、と言うのです。そのようにかたくなでおぞましい心は、旧約聖書の時代に根こそぎ神に裁かれたツロ、シドン、ソドムよりも、もっと悪いとイエス様は責められました。キリストがその命を捨てて救おうとされた人間の心はかくも堕落していたということが、今日取り上げた聖句の前に書かれているのです。人間は自分を命がけで救いに来られた方を、腐った魚のようなとろんとした目で見返すだけだったということです。
従ってこのときキリストの負われていた重荷が、どんなに重く苦しいものであるかが伝わってきます。「ああ」という嘆きの声が、どんなに深く長い慨嘆の声であったかと思わされます。イエス様の地上の生涯に、こんな場面があったというのは驚きです。しかし、まさにこのとき、嘆きの声を上げられているこのときに、イエス様は父なる神への賛美の声を上げています。「そのとき、イエスはこう言われた『天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました(25節)』」。うめきが突然賛美に変わります。重苦しい重荷を背負ったままなのに、「あなたをほめたたえます」とおっしゃいました。状況が何一つ変わってませんのに、このように変わったのはなぜなのでしょうか。このとき、キリストがうめきをあげている、その時その場所で、その目をパッと天に向けていらっしゃる。地上の絶望的な状況をみてうめかれたキリストは、天を見て天の父なる神をほめたたえました。そしてその父が、「これらのことを賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。」と言って喜ばれます。「これらのこと」とは、人間の救いのことです。イエス・キリストの十字架によって、それを信じる者が救われるということを、幼子たちに現わしてくださった、とほめたたえます。
「賢い者」とか「知恵ある者」というのは自分の考えや感性が、一番優れていると思っている人のことです。キリストを信じることで救おうという神のメッセージを、自分が賢いと思っている人は、「そんなバカな。」と思いますね。
戦後まもなくの頃でしたが、当時のバナナは今の高級メロンぐらいの価値がありましたが、ある時、母が山のようにバナナを買ってきて私たち5人兄弟の前に置いて、「好きなだけ食べなさい」と言ったことがありました。すると、一番末の妹が真っ先にすっと手をのばし、それをきっかけに皆が我先に手を出して、瞬く間に食べ尽くしたことを覚えています。つまり、妹より年上の、少し賢くなった人間には、当時あのバナナを「好きなだけ食べていい」というメッセージが、信じられなかったんですね。「まさか」と思って、手がでなかった一瞬の隙をついて、一番下の妹が単純に手を出したということなんです。賢い人というのは、神様のメッセージに対してだめなんですね。「自分が罪人であるのに、あのイエス様が身代わりに十字架にかかってそれを信じるだけでその罪が許され、天国に迎え入れられるなんてそんなバカな」と、そう思うんです。そして、それで終わりなんです。ですから目の前で奇跡を見ても、どんなに素晴らしいことを聞いても、「私が賢い。」と思っている人は「そんなバカな。」と判断した途端に、それが最高の判断だと思うものですから、もう悔い改める必要なんかないと思うのです。
けれども「幼子」は、神のおっしゃったことをそのままに聞いて受け入れます。イエス様は「神はそのように神の言葉を素直に心開いて受け入れる者に救いを現して下さいました。」と言い、「そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」と言われました。つまり、このときイエス様は、まず地上を見てその重荷で呻き、次に父を見上げ、そして父の御心を確認されました。
そして再びしっかりとその重荷を負われます。それが27節ではないでしょうか。「全てのものが、私の父から、私に渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません」。「全てのもの」とは、人間を救う力の全てということです。「この私があなた方を救う救い主なのです。」ということの、確認の言葉です。つまり、救い主としての重荷をしっかりと負われて、すっくと立ち上がられた言葉、これが27節です。
そして、「さあ、父から全てのものが渡されている私の所に来なさい。私があなた方を休ませてあげます。」という招きの言葉が次の28節です。「疲れた人、重荷を負っている人、自分のどうしようもない問題で悩み苦しんでいる人、何をやってもだめ、やればやるほどかえって悪くなると思っている人、その人はわたしのところに来なさい、わたしがあなた方を休ませてあげます。」とおっしゃいました。 個人的な体験で恐縮ですが、私は小倉台にいた頃、家内の母を預かったことがあります。家内は倉敷市出身で、母は私たちが結婚してしばらくして、パーキンソン症候群という難病で入院しました。この病気にかかると、筋肉を思うように働かすことができず、顔も表情がなくなり、能面のようになることがあります。母はそれまでにも大変苦労した人で、家内が、「入院した母のために私ができる唯一の親孝行は、母がイエス様を信じて天国に行ってくれることだから、母を千葉に迎えていいでしょうか。」と言うもんですから、一も二もなくその母を迎えて、共同生活を始めました。
やはり体が思うように動かないものですから、病院に通ったり、日曜日の礼拝の度に車椅子で出席すると、いろいろな方が手をさすってくれたり、暖かい交わりが与えられました。そんな中で、やがて半年後に母は、キリストを信じますとはっきり言って確信を表明してくれたことを、本当に嬉しく覚えています。しかし、年を取って環境が変わったせいもあったんでしょうが、だんだんぼけがひどくなって、朝と夜がひっくり返ってしまいました。仕舞いには自分の娘である私の家内まで分からなくなって、「あんた誰や」って言うんですね。私にも同じことをよく言うもんですから、「あなたの娘の旦那で、牧師をやっている大竹です。」って言っても分からないんですね。何を言っても分かってくれないときは、「あなたの恋人でしょう。」というと「あっ、そうか。」なんて冗談みたいに言っているような具合で。
そんな生活をしているうちに、夜中によく起こされるようになりました。家内が妊娠していたときですので、「おーい。」と階下の部屋から呼ばれたときに私が降りていきましたが、そうすると、荷造りをしてベットもきれいにして、「今から隣に帰る。」と言うんですね。「おばあちゃん、隣ってどこ行くんですか。」「私の家や。」「ここは千葉だから隣の家も千葉です。おばあちゃんの倉敷の家にはすぐには帰れませんよ。」なんて言って、また寝てもらう、といったような生活がずっと続きました。それがだんだん高じてきて、夜中に2、3回起こされるようになってきました。ある時土曜日の夜中のことでしたが、私にとって土曜日はブルーサタデーとでも言うんでしょうか、礼拝の準備で大変緊張するんですね。その夜中に3回起こされてしまいました。1回目、2回目は何とか我慢したんですが、4時半頃に、「おーい。」と同じ声で必死に叫ばれたんですね。さすがに私も切れてしまいまして、階段をどすん、どすんと降りていって、ベットに横たわっている母に向かって、「おばあちゃん、今何時だと思っているんですか。何度やったら気が済むんですか。」と怒鳴ってしまいました。そうしたら母の目からみるみる涙が出てきまして、一言、「因業な病気になった。」と言ったんですね。その言葉を聞いたときに、私は「あっ、本当に言ってはいけないことをこの人に言ってしまった。」と、もう、突き刺されるように教えられました。そしてすぐに襖を閉めて隣の部屋に行って、一言、「神様ごめんなさい。言ってはいけないことを言ってしまいました。お許し下さい。」と祈り、そしてまた、母のもとに行って、「おばあちゃん、ごめんなさい。言ってはいけないことを言ってしまいました。寝て下さい。」といって二階に戻った経験があります。私の人生であんなに心から神様にお詫びしたことと、人にお詫びしたことは初めて、そしてもしかしたら最後かもしれないと思うくらいに、私は自分の罪を示されました。
この出来事で学んだことは次のことです。それは、私のそのときの疲れやいらだちの根本的な原因は妻の母ではなかったということです。根本的な原因は、母の存在をいつの間にか疎ましいと思うようになったこと、私の心に愛がなかったこと、それが原因だった。結局、突き詰めれば自分にとって都合の悪い人の存在を否定してしまう、自己中心の心が問題だったということを、否定しようがないくらいに教えられました。私はそういうことを、何度も聖書を通して説教していたつもりでしたけれど、分かっていなかった。この自分の中にそんな問題がリアルに存在しているということを、その夜の一晩の出来事で教えられました。
聖書はこのような自己中心の思い、心を「罪」と呼んでいます。大きな苦しみを抱えた義母の人生を思えば、労りとか、思いやりとかをかけこそすれ、一言だってそういったことを言ってはいけなかったんだと思います。しかし、母はいつしか私にとって加害者である、牧師職を邪魔する存在である、という思いから私は被害者のような気持ちになってしまったのですが、あの日私は、大変な加害者として生きていたということを教えられました。「はっきり言ってあなたが生きていては迷惑です。」という思いをかすかにでも持つならば、相手の存在を抹殺する「殺人」と同じ心の状態である、ということを覚えます。「兄弟を憎む者はみな、人殺しである。」という聖書の言葉で照らされるまでもなく、私にはそういう人を殺す思い、存在を疎ましく思う思い、そういうものがあったのだと思います。
そこで、この28節で言われていることは突き詰めると、こういうことになるのではないでしょうか。「あなたの疲れ、それはひょっとしてあなたの罪、つまり自己中心という利己的な思いのことですが、そのあなたの心の中に確かに存在する罪が原因なのではないですか。また、あなたの重荷、それはあなたが隣人を愛せないから、その荷物を負うことをいやがるから、だから重荷になっているのではないですか。その人はどうぞ私の所へ来て下さい。私は、その疲れ、それが重荷となっている根本原因であるところのあなたの罪、それは結局、自分に都合が悪ければ相手の存在を受け入れることが出来ない、という心の罪を背負って私は十字架にかかります。だから、その十字架にかかってあなたの罪を赦し、根本的に新しい人にしようとする私のところに来なさい。そうすれば、その罪を赦し、取り除き、清めて、あなたを休ませてあげます。」こういう招きの言葉だったのです。
つまり、人生の重荷ということを考えるときに、まず第一に、疲れの根本原因であるところの自分の罪というものを、キリストのところで癒していただく必要がある、とキリストは呼びかけて下さるわけです。
次に29節をお読みします。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」これはとても不思議な命令だと思います。「キリストのくびきを負え。」というんですね。重荷を降ろしなさい、とは教えて下さらないんです。あなたの重荷を降ろして休みなさいと言うのではなくて、むしろ、くびきを負いなさいって言うんです。不思議な命令ですね。くびきというのは、2頭の牛馬が同じ方向を行くように負わされるものですね。ですから、キリストと同じように、キリストがこっちに行ったらくびきを負っているあなたもこっちに行くように、そういう風に生きなさい、ということですね。では、キリストと同じようにするとは、どういうことでしょうか。それは、20節からみてきたキリストの通りに生きてみてはどうでしょうか、という招きの言葉なんです。すなわち、私たちは人生の様々な重荷を負わされています。その重荷に呻きます。潰れそうになると思います。しかし、その場で、呻きをあげているその場で、天地の主であられる父を、まず見上げることです。そして天の父は、全世界を統べ治めていらっしゃいます全知全能の愛に満ちた方だ、というところに私たちの心が整えられていきます。そうしますと、今与えられている重荷も、神様が良しとして自分に与えて下さるものである、ということが天を見上げることによって確認できます。つまり、その重荷を負うことが神様の御心であるということが、再確認できるのです。そして、その重荷を負う新しい力を頂いて、もう一度重荷を背負いなおして、「よいしょ」と立つことが出来る。それがキリストのくびきを負うことだ、ということであります。
私は、最初に紹介しましたように、小児麻痺のせいで中学・高校時代はサッカーとかラグビーの時は、一人でボールを校舎の壁に蹴って寂しい経験をしました。イエス様に出会う前は、私にとってこの右足は重荷以外の何物でもない、重荷なんて生やさしいものではなくて、おぞましい存在でした。だいたい、自分の曲がった足を見ることさえいやでした。子供は残酷なもので、よく、びっこ、びっこと言われました。すると本人よりも親が苦しむんですね。私がびっこと言われるのが、母にはたまらないんです。母は私に母の前を歩かせて、私をからかう者がいると石を投げたことがありました。私は高校を出て、大学を中退して1年間麻雀に狂った後、また故郷に戻り1年間作曲の勉強をしていたんですが、見事に落第してしまいました。私にとっては挫折の極みみたいな状態でしたが、そういう中で私が大学を落ちたその春、日本基督神学校を卒業された本間進という先生が、赴任の挨拶にいらっしゃたんです。なぜ私の家にいらっしゃったのかというと、先ほどのバナナにパッと手を出した末の妹が、教会学校に行ってたんですね。で、妹に挨拶に来られたときに、失意のどん底にいる私も、のこのこ出てきたわけす。そうしたら、「お兄さんもどうぞ」と誘われて、それから教会に行くようになったんです。
教会に行くと、「どうしてこんなにいいのだろう」というような雰囲気でした。先生の話は全く分からないのですが、皆で賛美歌を歌ったりお祈りしているのを聞いていると、得体の知れない安らぎとが与えられまして、それから日曜日に教会の礼拝に出るようになりました。そうしたら、3〜4ヶ月した頃でしょうか、ある時町を歩いていたときに、私がふとある人に振り向いた瞬間があったんです。私は小学校の頃から人に振り向かれるのがすごく嫌だったんです。私を振り向かないで歩いていった人は世界一立派な人に思えたくらいで、一度振り向かれると、もう自由に歩けないんですね。「どうか振り向かないで欲しい。」といつも願いながら歩いていた思い出があるのですが、ある時、その私がふと振り向いたんですね。その方の歩き方が何かおかしく思えたんでしょうか。普通と違うと思ったんでしょうか。で、その振り向いた瞬間に、「待てよ。」と思いました。私は、「どうか振り向かないで欲しい。」という願いをもってずーっと生きてきたのに、今の私は何の反省もなく、振り向いているじゃないか。その出来事を通して、私は自分の罪ということが否定できない事実として、ふっと心に入りました。
それから、私はしばらく後に持たれた特別伝道集会で、ダビデ・マーチンという宣教師の方のメッセージを通して救われました。ですから、私は足が悪いという、自分がおぞましいと思っていたものを神様が用いて下さって、自分の罪に気付かせ、その罪をイエス様が背負って下さった、というところにもっていくひとつの教材として、私にしか与えられない恵みだったんだと思うんです。こういう経験を通してでないと、イエス様のことが分からないということがあったのかもしれません。つまり、神様が良かれと思って与えて下さったものを、私はイエス様と出会う前は、これは良くない、これさえなければ私の人生はバラ色だ、どうして一生こんなものを抱えて生きていかなければならないのか、と思い続けていたんですね。「試練とは、悲しく見える恵みである。」という言葉、ご存じだと思うのですが、本当にその通りだと思えます。悲しいと思えるけれど実は恵みなんだ、ということですね。つらくて、嫌で、たまらなくて、投げ出したくて、恥ずかしくて、おぞましくて、一刻も早くそこから抜け出したいと思うもの。それが、天を見上げれば恵みであった、ということにやがて気付いていく訳です。
つまり、こういうことになります。私たちが抱えている一番重い重荷、それは罪というものです。しかし、それはイエス様が全部背負って下さいました。完全に背負って下さいました。もう、その罪のことで、我々が何かをする必要はありません。イエス様を信じて、イエス様の所に行くだけでいいのです。もう、罪の重荷は取り除かれた。キリストを信じることで取り除かれたのです。あとは、この地上で負わされる重荷です。その重荷はキリストのように、神を愛して背負っていくことです。
そしてその重荷は30節によれば、「キリストの重荷」だと書かれていますね。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」と仰ってます。キリストの荷物だ。キリストが背負わせて下さる荷物だ。私たちはこの地上で、イエス様の荷物を背負って生きているのだ。そういう呼びかけ、招き、御言葉でした。今、与えられている重荷は、イエス様が私に良かれと思って負わせて下さっている荷物だ、そういう目で人生の重荷を見つめ直したら、ちょっと違った光が与えられてくるのではないでしょうか。そのためには、このようにうめき声を上げている、その時その場で、まず天を見上げることです。そして天の父の御心を、再確認することです。そしてその荷物を、愛を持って再び背負っていくことです。それがイエス様のくびきであり、イエス様から学ぶことです。「そうすれば、たましいに安らぎがくる」とキリストは言われました。重荷を負うことによって、かえって魂が平安になるというのです。しかも、最後に私の荷は軽いと仰ってますね。ですから、クリスチャンは重荷という言葉を使ってはいけないんじゃないかと思うくらい励まされる御言葉ですね。
以上、「人生の重荷」という題で、お話しをさせて頂きました。私たちに与えられている疲れや重荷の意義というものをまとめますと、第一に、人生の重荷を通してキリストのところに連れてこられる、ということです。疲れとか苦しみによって、人間は救い主に出会う、そういう恵みがあるということです。第二に、人生の重荷を通して、キリストを学ぶことが出来るということです。キリストは何でも出来る方ですから十字架から、降りることもできました。けれでも、私たちを愛するゆえに、その重荷を背負い続けられました。そんな愛に満ちたキリストを、私たちは自分の人生の重荷を負うことで、イエス様のことをより学ぶことが出来る。重荷を負うことでイエス様がいかに自分を愛して下さるかということを、より深く知ることが出来る。第三に、この重荷は、キリストの重荷だということです。それを負うことによって、イエス様の栄光がその重荷を負う人生で現されていくということです。そうしますと、人生の重荷というものは、キリストと出会わせ、キリストの愛を知らせ、キリストの栄光を現すという、とても素晴らしいものだということです。
皆さんは、田原米子さんという方をご存じだと思いますが、私はあんなに輝いている女性は見たことがありません。彼女は、高校の時、絶望して電車に飛び込んで、病院で意識を取り戻したときに、指が3本しか残っていないことに気が付いて絶望して気が狂いそうになったそうです。しかし聖書を読み、キリストの救いを信じてから、「私には指が3本もある。」というふうに変わったんだそうです。「指が3本しかない。」じゃなくて、「指が3本もある。」っていう風に見方が全然違った。ハンディという重荷もまるで軽くなってしまったわけです。「わたしの荷は軽い」っていうあの言葉が、彼女の魂に成就したわけです。イエス様のところに行って休ませてもらって、神を愛するものに変えられていった、まさにこのマタイ11章28節から30節を、地で行っている女性に出会ったという気がしました。
この教会にいらっしゃる多くの方々が、同じような体験をそれぞれになさって、それぞれに喜びを心に秘め、あるいは表情に現れていると思いますけど、今日、特に初めていらした方、求道されている方も、中台先生はじめ多くのクリスチャンの方々にイエス様に出会った証を是非聞いて、これからもイエス様を信じる信仰が励まされることを願って、お話を終わらせていただきます。