この6月で、当教会は設立30周年です。幸い、この30年間に新しい方々も多く加わってくださり、今では、30年前のことや私たちの教会が受け継いでいる伝統をご存じない方々もだいぶ増えてきました。
キリスト教会は、聖書を土台として建て上げられていますから、ある意味では「各教会固有の伝統」などは知ったことではないのですが、それでも、自分の教会が摂理的に置かれてきた伝統・自分のうちに流れている血を知ることは有益なことでしょう。
最近、私たちの教会の初代牧師(伝道所時代に母教会の牧師が牧会をしておられたことを加えれば、二代目牧師)であられ、私の前任牧師である有賀寿先生が、ご自身経営なさる「すぐ書房」から『ころもが衣更えするキリスト教(日本にたいする神の経綸)』(1,200円プラス税)という本を出されました。
有賀先生の本を、後継牧師の私が読まないわけにはいきませんから、早速拝読させていただきました。『衣更えした』というタイトルですと、<新千年紀に向けて必要な変化をしつつ前進していくキリスト教>というイメージを持つことができますが、『衣更えする』とはどういうことだろうか、と思いながら興味津々で読みました。
まだざっと走り読みしただけなのですが、書かれていることの根底には、先生のもとで当教会伝道師をしていた20年近く前に直接教えていただいたような、先生の終生にわたる問題意識がありました。
15世紀以降、カトリックの教えが禁教となった徳川時代に、儒者・蘭学者・志士の間に密かに広まったキリスト教、そして幕末から明治期において日本人の手によって形成された教会、こうしたもののうちに初代教会につながる(そして、3、4世紀以降から近代に至るまでのキリスト教会の<伝道>とは無縁な)キリスト教会の真の姿がある、といったような内容です。(と要約すると「だれもそんなことを言っていないでしょ」とたしなめる先生の声が聞こえてきますが。)
要するに、本来のキリスト教は、その土地・国々・時代ごとに衣更え(脱皮)しながら、それぞれに固有のキリスト教を形作ってきた、しかもそれは、神のことばに打たれた人々が神のことばを自分の内で血肉化し実践していく中でハプニングとして自然な形で福音が周囲の人々に広がることによって具体化してきたのであって、現代の欧米の宣教師たち、そして日本の多くの教会に見られるような、意図的かつ(外国教会に)従属的な伝道活動によるのではない、ということです。
細かいところは先生の文章の常で難しくて分かりませんし、先生に直接数年間教えられた者として、先生に一面を強調した物言いや、時に資料の誤読があることも感じていますが、全体としては、先生から直接間接にずっと教えられてきたことです。
教会は、派手な特別伝道や外国からの一方的援助によってではなく、みことばに生きる信徒たちの日常を通してハプニング出来事として形成され、成長する、ということです。(当教会が日頃、派手な伝道活動を実施しないとすれば、怠けているのではなく、そうではない教会形成を心がけているからです。)
私たちの教会が、日本人の手による(この場合の「日本人」とは、国籍や民族のことではなく「外からの助けに甘んじない自分たち自身の手による」といった意味)の自主・自立・自給の教会形成を一貫して進めてきたのも、こうした有賀先生始め初期の「堀ノ内グループ」(当教会の母体となった諸教会)の教師たちの理念を受け継いだものです。
私たちの教会に創設以来流れているのは、このような血・このような伝統です。
(2000年6月4日 週報)
西船橋キリスト教会が設立されたのは、今から30年前、1970年6月21日(日)です。当時、外国の宣教師に頼らずそれぞれ日本人教職者の手によって開拓され、<改革主義系単立教会グループ>として交流を保っていた幾つかの教会が、首都圏に存在していました。それらの教会の協力によって、特に堀ノ内教会(杉並区)が中心となって、とりあえず堀ノ内教会西船橋伝道所として開設されたのです。
最初の場所は、西船橋駅前にある「アイボン」や「キャスター・ビーンズ」(現在)の裏手にあった貸事務所で、1973年に2番目の場所に移転、1985年に3番目の場所に移転、と3回場所を移動して、1997年、現在の会堂に落ち着きました。
開設から7年後、1977年6月26日(日)に独立総会を開いて自立教会として独立。初代牧師として有賀寿先生を招聘しました(伝道所時代の牧師は、堀ノ内教会の有賀豊二牧師)。
1979年6月には、前述の諸教会と一緒に「日本福音長老教会(中会)」を設立。名実共にプロテスタント改革主義(長老主義)教会として教会形成に励むことになりました。
1981年1月に日本福音長老教会を一時脱会して単立教会に戻り、6月に私(中台)が伝道師として招聘され、翌1982年9月に有賀牧師が辞任なさいました。その間、1981年3月から江戸川区葛西の公民館を日曜午前だけ借りて「葛西伝道所」を開設していましたが、時を得ず、1982年10月に撤収。
1983年3月に日本福音長老教会に再加入し、1984年4月に、それまで3年間伝道師であった私が、あらためて牧師として就任しました。
1985年6月に勝間田公園隣のビル1階に移転し、この前後から将来の会堂建設に備えて会堂献金を本格的に開始しました。(古い方々の記憶では、伝道所開設翌年あたりから会堂献金積立を開始していたそうですが、何回かの会堂移転のたびに、移転費用・改装費用等に用いられていたようです。)
1988年11月に手賀沼付近のキリスト教墓苑「ラザロ霊園」内に教会墓地を建設し、最初の納骨式を行いました。奉仕グループ制の導入、教会一泊修養会の開催、教会内規の作成などもこの時期からです。
1990年6月に20周年を祝い「20周年宣言」を採択、翌1991年「記念誌」を発行。1993年5月には「日本長老教会」の設立に参加しました。
1997年11月に現会堂を建設して移転。1998年2月に完成感謝会を行いました。
この30年間を数字で見ると、受洗者94名(そのうち幼児洗礼29名)、幼児洗礼から信仰告白に進んだ者5名、他教会からの加入者65名(そのうち幼児会員2名)、他教会への転出者33名(そのうち幼児会員4名)、召天会員8名、客員会員受け入れ12名、客員会員退会10名(当教会員になった人4名も含む)となり、現在は教会員総数118名(そのうち中会教師(私)1名、幼児会員22名、別帳会員2名)、客員会員2名です。(ただし、前述の受洗者・転出者・加入者のうち各1名は同一人物)。
こうして30年の歩みを振り返ってみると、失敗や反省ももちろんありますが、神の恵みにただ感謝といったところでしょうか。
設立以来(さらに言えば、冒頭に記したように戦後の<改革主義系単立教会グループ>スタート以来)の自給・自立・自治の精神が、変わることなく現在まで受け継がれてきていることは、すでに先週記しました。
当教会のもう一つの特徴は、(再来週の週報に書きますが)有賀前牧師が大学生伝道(KGK)、私が高校生伝道(HiBA)出身であり、教会も中学生伝道(CSK)に初期から関わってきたことから来る、教派間協力による世界宣教への、積極的・開放的な取り組みです。
(2000年6月11日 週報)
私たちの教会の設立以来の特徴の一つが、母教会の時代から続く自給・自立・自治の精神であることは、すでに記しました。その他の特徴としては、家族中心・信仰継承・家庭礼拝・親子一緒の礼拝、などを挙げることができます。
こうしたことには今回触れませんが、もう一つの特徴として、有賀前牧師が大学生伝道(KGK)、私が高校生伝道(HiBA)出身であり、教会もKGKやHiBA、中学生伝道(CSK)に初期から関わってきたことから来る、教派間協力(超教派)による世界宣教への、積極的・開放的な取り組みがあります。
現在、私たちの教会は、毎月5つの宣教団体に、それに加えて夏と冬にはさらに6つのキリスト教団体に、そして年に一度程度単発で数団体に、定期的に献金をし、祈りをもってその働きを支え、キリスト教会の世界宣教への取り組みに対する私たちの教会としての責任を果たそうとしています。
献金だけではなく、将来的には人材の派遣というところまで進みたいものですし、現在でも献金はともかく、ちゃんと祈っているか、と自問したら、反省すべきことはあります。
けれども、教会も地上の組織として30年の間には経済的に楽な時だけではなく、苦しい時もありましたが、その時でも「外部への献金を削減することをもって、教会の経済的苦境を乗り切ろう」的な発想を持つことなく、変わることなく献げ続けてきたことは、主の前に誇りとして良いことでしょう。
こうした世界宣教への取り組みの一つとして、さまざまな教会会議・宣教会議にも積極的に参加してきました(牧師を派遣してきました)。前牧師の有賀寿先生はこの面で強い重荷を持っておられる先生で(当時は派遣という形ではなく、自分自身で、だと思いますが)1966年のベルリン伝道会議、1974年の第1回ローザンヌ世界宣教会議(スイス・ローザンヌにて)、同年の第1回日本伝道会議(京都)に参加し、発題等の責任を果たされました。
当教会が自立教会としての形を整えてからは、教会として正式に派遣し続けてきました。
1982年の第2回日本伝道会議(京都)には有賀師と私を派遣しました。私が牧師となってからは、1989年の第2回ローザンヌ世界宣教会議(フィリピン・マニラ)に教会設立20周年記念行事の一環として派遣してくださったのをはじめ、1990年の第1回アジア宣教会議(アジア福音同盟主催、韓国・ソウル)、1991年の第3回日本伝道会議(那須塩原)、1997年の第2回アジア宣教会議(タイ・パタヤ)と、その都度犠牲を払い、喜んで牧師を派遣してくださいました。
こうした超教派の「会議」は、教派の正式な「会議」とは違い、「研修会・講習会」的な面が多々ありますし、帰ってきた牧師が受けた恵みを教会にどれほど還元できているかは、はなはだ心もとないものがありますが、教会史・宣教史的に見て大切な会合の現場に、犠牲を払って牧師を派遣し、教会として世界宣教に関わり続けてきました。
今週は、沖縄に日本全国から2000名ほどが集まり、第4回日本伝道会議が行なわれます。
長老教会大会から参加費の3分の1の補助が(財源は当教会も献金している大会会計からですが)出ることもあり、残りを当教会で負担して、当教会から数名派遣することに昨夏決めました。ただ、大会の補助条件が「牧師・牧師夫人・長老・執事に限る」というものでしたので、1年前に参加希望者を募って5名分申込み、その後1執事が辞退されて牧師夫人に交代、結果的に、牧師・牧師夫人・長老2名・執事1名の5名が派遣されることになりました。
当教会の良い習慣が今回も生かされ、参加者が恵みを持ち帰れるよう、お祈りください。
(2000年6月25日・週報)