30周年に向けて

はじめに

来年(2000年)6月、私たちの教会は教会設立30周年を迎えます。30周年を一つの区切りとして、私たちの教会はこれからどのようにして、一層、主なる神に仕え、世界宣教に貢献することができるでしょうか。この夏、牧師が週報に「30周年に向けて」の記事を掲載し、共に考え始めました。その文章を以下にまとめ直してみました。

これをたたき台として、個人で、家庭で、各会で、奉仕グループで、一泊修養会で、そして教会全体で、いろいろと考えてみましょう。右欄に、考えを進めるため「きっかけ」が記されています。指示に基づいて、自分なりに考え、書き込んでみましょう。

そして、皆でまとめて、どういう形でか、私たちの教会の30周年の決意としましょう。(最終的には小会・役員会でまとめます。)

1999年10月31日 日本長老教会・西船橋キリスト教会 役員会

序.「20周年」を振り返って

来年の6月で、当教会は設立30周年を迎えます。すでに昨年秋の「教会一泊修養会」の頃から、30周年に向けての課題は何か、どう祝おうか、といった話題に取り組んでいますが、役員会でも数ヵ月前から「30周年」を射程において話し合うようになりました。

これまでのところのとりあえずの結論は「6月の29周年記念行事が終えてから考えよう!」ということでしたが、その29周年行事も無事終了しましたので、いよいよ来年のことを考え始める時期になりました。

「30周年記念」といっても、考えるべきことは2つあります。第1は、30周年を区切りとして、ちょうど良い機会ですから、その先5年、10年の当教会の長期的な展望を持とう、計画しよう、ということです。

もう一つの課題は、来年の6月前後に30周年の記念行事をどのように行なおうか、ということです。幸い、20周年の時に取り組んだことが先例として残っています。

1990年、20周年の時には、第1の課題のためには「20周年宣言」を作成・採択し、第2の課題のためには6月に記念行事(礼拝&感謝会)を行ない、そして第1、第2の課題を統合する意味で、第3に「20周年記念誌」を発行する、という3本立てで20周年を祝いました。

そのうちの「20周年宣言」は正式には「西船橋教会設立20周年宣言・私たちの決意『21年目へ、そして21世紀へ』」というタイトルでした。この「宣言」は、新しいかたがたのために昨年11月22日付週報に再録しました。また当教会ホームページにも歴史的資料として掲載してあります。

「宣言」の内容は、大風呂敷を広げたというか、多岐に渡る総合的なもので、「21世紀へ」と銘打っているとおり、30周年に際してもそのまま使えるものです。

「宣言」は、全体の大枠が「公同の教会に仕える」という決意でまとめられ、その具体的な実践として、(1)会堂建設、(2)伝道(現在の教会の成長、複数伝道者の招聘、新たな伝道所の開設)、(3)教育(信仰の継承=クリスチャンホームの建設や家庭礼拝の充実、教会生活の充実、社会的な課題への取り組み)、(4)宣教(教派内の交わりや、超教派的交わりを通しての世界宣教への貢献)、の4点を挙げています。

この「宣言」を現時点で見直して、できたところ・できなかったところを確認し、目標設定は妥当だったか、その実現のための方策は適当だったか、修正すべきことがあるか、欠けているものはあるか、別の目標や方策はあるか、等々を検討すれば、「21世紀へ向けて」という大枠の中で「20周年宣言」の改訂版としての(「30周年宣言」という形で文章化して採択するかどうかは別として)「30周年にあたっての私たちの決意」を持つことができるでしょう。

T.会堂建設

1.新会堂の完成

さて、先ほど挙げた20周年に際して設定した目標の中で、目に見えてその成果が確認できるのは、何といっても会堂建設を成し遂げた、ということでしょう。

「20周年から25周年までの5年間を貯えの期間とし、25周年から30周年までの早い時期に(自分たちの力で)会堂建設に踏み切る」という決意は、その経済的自立性と共に、ほぼパーフェクトに実現しました。

2.今後の課題

(1)会堂の拡張

会堂建設はこれで終わりではなく、さらに今後に続く課題、あるいは次のビジョンがあります。その課題とは第1に、教会堂拡張に関する将来的なビジョンのことです。

現会堂の土地を大蔵省から購入して会堂を建設する時、土地と建物の小ささから将来のあり方を幾つか(私的に)検討しました。

現会堂はそのまま常時百数十名規模の教会として継続させ、それ以上は各地での伝道所開設を進めるという「母教会案」。将来、西船橋郊外に駐車場も確保できるような広い土地を得て、より大きな新会堂を建設し、現会堂はたとえば「学生センター」のような形で各種伝道の拠点とする「引越案」。現会堂の隣接地を入手して会堂を拡張し、教育館や牧師館、駐車場を併設させる「拡張案」…。(各案の呼び名は思い付きです。)

今のところは、やがて機会が得られたら隣接地を購入して現在地を拡張する案が一番妥当な線でしょうか(伝道所の開設は並行して考えますが)。現会堂の借金の返済と宗教法人の設立とは今の世代が責任を持って行なうにしろ、こうした会堂の拡張は次世代が取り組むべき課題となることでしょう。

(2)牧師館の確保

もう一つ、会堂と密接に関係して次の世代が取り組むべき課題に、牧師館(牧師住居)の獲得があります。

牧師館に関しては「20周年宣言」ではまったく触れませんでした。会堂建設もまだなのに牧師館に触れるのは早すぎますし、会堂建設の成り行きによっては自然に牧師館も併設できるかもしれなかったからです。

当教会は、前牧師は世田谷区のご自宅から通われ、また私自身はHiBAスタッフ時代から住んでいた千葉市の公団賃貸団地にそのまま住み続けていましたから、特に教会として牧師の住まいについて配慮をする必要がありませんでした(ただし、ご存知のように私は住居手当をいただいています)。

というより、教会としては牧師に教会の近所に住んでもらいたくとも、前牧師も私もあまり近所に住むことに固執しなかったので、教会として言いづらかった、というのが実際のところでしょうか。

昨年、現会堂が完成した頃、外部の会合に会堂を利用していただいた時、来会者のお一人が、誰かと雑談しながら、受付にあった週報を何気なく手にしてながめ(会計報告が掲載された週報でした)、数秒も経たずに「この教会は牧師の住まいはどうなっているのですかね」と独り言のような感想を漏らしたことを、強烈に覚えています。「新会堂内に牧師住居はないし、会計報告にも<牧師住居費>という項目がない。いったいこの教会は牧師住居をどうしているのだろうか」という感想であったようです。

牧師館を持たない教会の多くは、会計報告の中に<牧師住居費>という項目を独立させて設けていますが、当教会は<牧師給与>の中に諸手当の一部として組み込んでいます。ですから「どうなっているの」というのはこの方の誤解なのですが、「さすが、伝統ある大教会で長年役員をなさっておられる方の観察力は鋭いなあ」と、たまたまそばに居合わせて感心させられました。

私自身は「牧師住居については会堂が建つまでは考えないことにする」と決めていましたが、新会堂が牧師住居を併設しない形で無事完成したのを機に(小さな会堂を目いっぱい使うために牧師居住部を併設しない方が良いと私自身も判断したことです)、我が家の諸事情もあり、8月末に転居しました。

私に関しては、伝道者ですから今後も遣わされればどこにでも行く(ただ子供たちは年齢的にもう親に付いて来ないでしょう)という決意に変わりませんし、西船橋教会も牧師の再招聘については任期満了のつど自由に判断できる、また教会として住居手当を支給して牧師住居について配慮している、という点では今までと何も変わりません。

将来、次の牧師を招聘する時には、その住まいをどうするか(都会の教会らしく、牧師住居の場所にはあまりこだわらず、今のように住居手当を支給する形にする、という選択も含めて)、30周年以降、次世代の教会員の課題となることでしょう。

U.複数伝道者の招聘

1.複数伝道者のプラス・マイナス

次に「20周年宣言」に盛り込まれた第2点、「伝道(現在の教会の成長、複数伝道者の招聘、新たな伝道所の開設)」のうち、「複数伝道者の招聘」を考えます。

教会が成長し、大きくなると、必ずといっていいほど次のステップとして、伝道所の開設、副牧師の招聘、が話題になります。これは、もちろん良いことです。「20周年宣言」もこの線でまとめられています。

ただ、どの教会も、(仮にも教会ですから、自己の勢力を誇りたいという自慢心からでなく)主の体なる教会の一層の成長を願って、伝道所の開設や副牧師(2番目の伝道者)の招聘に取り組むのですが、現実には残念ながら、こうしたことが、教会の成長につながらず、かえって教会の分裂や停滞につながってしまうケースが多くあります。私もこれまで多々、見聞きしてきました。

原因はいろいろ考えられます。1教会の中で牧師と副牧師が協同して働くのか、伝道所を設けて副牧師をそこに派遣するのか、によって事情は違うでしょうが、どちらにしろ、牧師と副牧師(あるいは主任牧師と他の牧師)の役割分担が明確でないまま、あるいは複数牧会とは何なのか、その理念があいまいなまま、副牧師を招聘してしまっている、ことが一番の原因でしょうか。

現実の日本の教会では、教会自体が小さく、1牧師を支えることもままならないにもかかわらず、神学校を卒業して行き場がない若い伝道者をともかく出せるお金で招いて働き場を用意する、という出たとこ勝負の招聘がかなりあることが、その後、トラブルを生じさせる原因となっています。

ある程度の理念を持って副牧師を招聘した場合でも、牧師と副牧師と教会員の三者の期待がそれぞれ違うことが、トラブルの原因となることもあります。

牧師は(高齢になると)、自分では難しくなった青少年の伝道牧会を担当してもらうために若い副牧師の招聘を提案します。そこには、後継牧会者養成というより、むしろ自分の弱点を補強し、牧会基盤を一層安定させたい、という気持ちがあります。

しかし、招かれた副牧師の側には、しばらく主任牧師の下で頑張れば、やがて後継者になれるだろうという期待があります。

教会員の側にはどうしても、どちらの先生の説教がいいか、自分の冠婚葬祭はどちらの先生にやってもらいたいか、といった人間的比較や好みが出てきがちです。

それに加えて日本の小さな教会でずっと一人で働いてきた牧師たちは、職場での人間関係に慣れていません(何しろ従業員1名の職場です)から、牧師間のコミュニケーションがうまくいかないことがよくあります。

あれやこれやで、教会の成長のため良かれと思って実施した複数牧会が、しばしば教会の停滞・分裂の原因となるようです。

先日、中会伝道委員会でこの話題になったら、金小益宣教師が「ですから韓国の教会にはこういう規則があります」と語り、アイバーソン宣教師が「アメリカの教会も同じです」と、こう教えてくださいました。

それは「副牧師は、原則としてその教会の主任牧師としてそのまま招聘されることはできない」「副牧師であった者は、いったんその教会を辞した後も、三年間はその教会の主任牧師として招聘されてはならない」という規則です。これは初耳でした。

2.理念を持った複数牧会

教会が成長してくると、多くの場合、次のステップとして伝道所の開設や複数伝道者(牧師)の招聘に進みますが、これは、不用意に実施すると、成長につながるよりもむしろトラブルや低迷、分裂の原因となりかねなません。

(実は、私たちの教会も私が伝道師として招聘された教会設立10周年の頃、理由はまったく別のところにありましたが、結果的には似たような痛みを経験しました。)

聖書で、ダビデ王の息子アブシャロムが毎朝のように王宮の前に出て、王に訴えがあって出向いて来ている人々に対して「私が王であったら、皆さんの願いを見事にさばいてあげるのに…」と言って人心を掌握し、やがて王国の分裂につなげていったように(第二サムエル記15章)、不用意な人事は、人心のもつれを生じさせがちです。

それを避けるために、韓国やアメリカの教会で(いろいろな教会がありますから、全部の教会ではないでしょうが)設けている原則(副牧師がそのまま主任牧師に昇格することはない等々)を、宣教師がたから教えていただいたことを先ほど記しました。

この原則は、言ってみれば、主任牧師には主任牧師、副牧師(「担当牧師」「担任牧師」といった表現が用いられることもあります)には副牧師の固有の役割があるので、自動的に副牧師から主任牧師に移行できるものではない、ということです。

ちょうど、長老と執事の関係に似ているかもしれません。執事は、長老の前段階ではありません。現実には多くの場合、執事職を務めてからやがて長老職に選出されますが、原則的には長老と執事は働きが違いますから、長老と執事はそれぞれ固有の働きとして選ばれます。長老にふさわしい人、執事にふさわしい人、はそれぞれ別々に存在します。

あるいは、アメリカにおいて大統領が交替すると、副大統領から閣僚、主要官庁人事まですべてが刷新されるように、牧師・副牧師・教会主事等は、全体で1つのチームとして有機的に関わりあって働きを進めていくものですから、主任牧師の交替は、副牧師の昇格よりむしろ、「教会奉仕者全体の見直し・新しい奉仕者チームの編成」といった風に進んでいくべきものなのかも知れません。(これは、アメリカなどの大教会の場合です。日本の教会ではちょっと規模が違い過ぎ、浮世離れしていますが…。)

東京にある改革派教会が何年か前から副牧師制度を導入しましたが、その教会は自分の理念を持っていて、副牧師制度を、自教会の成長のため、というより教派全体のために若手伝道者を訓練するため、と割り切り、神学校を出た若手伝道者を2年間だけ副牧師として招いて訓練を積ませる、2年後には別の新しい若手伝道者を招聘する、そのようにして常時一人の若手伝道者を2年間訓練することをもって教派全体に対する大教会の責任を果たす、と考えています。

7月に当教会の小会を開催した際、(どこかから、誰かを招聘してくれと具体的に提案が出ていたわけではありませんから、議題としては別に扱っていませんが)ほぼ全員の意見として「当教会は、来年は新たな働き人を招聘する予定はない。その予算もないし、必要とされる働きも今はない」ことが確認されました。同時に、30周年以降の課題として、やがては複数牧会に踏み切るべき日の来ることも話し合われました。

安易な招聘によってトラブルを生じさせないように、正しい理念や働き人相互の奉仕分担の明確な区別を持ち、適切な予算を組んで、複数牧会の日を迎えましょう。

V.教会を生み出す

1.伝道所の開設

教会は、教会を生み出すことをその使命としています。ですから、伝道所の開設を計画することは、教会の成長の一過程として当然のことです。

この「伝道所の開設」は、教会堂の土地建物のことや複数伝道者招聘のことと密接につながっていますが、今回はとりあえず単独で考えることにします。

教会には、良くも悪くも牧師個人の人間的魅力や説教によって多くの人が集まっているタイプの教会があります。こうした教会の場合には、他の地域に他の伝道者によって伝道所を開設しても、あまり成功しないかも知れません。むしろ自教会の内部的成長を考えることが自然ですし、その方向でキリスト教会全体に貢献できるでしょう。

けれども、そうした牧師個人のカリスマ的魅力(繰り返しますが、良いか悪いかは別として)に頼っているのではない教会は、成長と共に株分けや開拓伝道、伝道所の開設に着手することが、自然な形でのキリスト教会全体に対する貢献となるでしょう。

「細かいところまで配慮したい」「配慮して欲しい」という盆栽的傾向が強い日本の教会では特に、外国に見られるような何千人・何万人規模の大教会を形成するよりは、百人台の小さい(!)教会をいくつも作った方が効果的である、とよく言われます。

そのようなわけで、当教会も、伝道所を開設し、やがては自立教会として独立させることを、長年のビジョンとしてきました。

このビジョンは、教会設立20周年(1990年)の頃は、<当教会単独のプロジェクトとしての開拓伝道(伝道所開設)>と考えられていました。当時の日本福音長老教会では、千葉県には当教会以外に教会がありませんでしたから、遠くの地に開拓伝道するならともかく、身近な地に信徒を株分けして取り組む開拓伝道は、当教会単独プロジェクトとして考えるしかなかったからです。

その後、日本長老教会が設立され、千葉県に幾つか仲間の教会が存在するようになり、また東関東中会が設立され、さらに新しい教会規程により伝道所の種別が新たに整備されるようになり、といくつかの要素が重なったため、ここ数年、教会一泊修養会などでは「当教会単独の伝道所開設ではなく、中会内の諸教会と協力し合っての伝道所開設の可能性も考えられる」と語り合ってきました。

といったことが、これまでの経過ですが、最近私はあらためて「当教会独自の伝道所開設」に考えが傾き始めています。

理由の第一は、東関東中会は伝道所が多く、開拓伝道のパートナーとなるような自立教会が少ないことです。(「既存の伝道所を支援することをもって、当教会の開拓伝道に代えよう」という考えももちろんありうるでしょうが、既存の伝道所の支援と、当教会の責任としての開拓伝道への取り組みとはやはり、別種のものでしょう。)

第二の理由は、東関東中会には宣教師主体(外国ミッション主体)の開拓伝道が多い、ということです。キリスト教会に国際的な協力態勢は不可欠ですが、同時にそれは各個教会(各国の教会)の自立性や独自性を損なうものであってはなりません。

長い間外国の下で外国の教会の献金に頼ってきた日本の教会も、最近ようやく経済的なやりとり無しの対等のパートナーとして外国の教会と協力し合えるようになりましたが、当教会が属してきた「堀ノ内グループ」は、戦後一貫して自給自立自治の教会形成を進めてきたグループです。

現在の東関東中会は、宣教師の下で日本人伝道者が働く、という旧来の形が強く(それはそれで、開拓伝道の強力な方策になりますからかまいませんが)、私たちの教会が一貫して目指してきている形とは少し違う形で開拓伝道や教会形成が進んでいます。

そのようなわけで、私個人は「当教会単独の開拓伝道(伝道所開設)」をあらためて考え始めていますが、さて、皆さんはどうでしょうか。このあたりが「30周年の検討課題」となることでしょう。

2.伝道所の場所

将来、当教会が伝道所を開設するとして、どの地域に開設したらよいのでしょうか。

これは、さまざまな考え方や期待・希望があることでしょう。

私個人は長年千葉市に住んでいますから、伝道所を開設するとしたら、千葉県の県庁所在地である千葉市(その中でも牧師宅近辺の美浜区あたり)がいいのかなあ、と長い間密かに思っていなくもなかったのですが、いかんせん当教会には現在千葉地区に居住する教会員があまりいないことと、京葉チームが幕張地区での開拓伝道に取り組み始めたこととが、マイナス要因になります。

東京浦安方面に伝道所を開設するのも、地方の小会社が花の東京に営業所を出すようでおもしろい感じもしますが、いかにも経済的には負担が大きそうです。

今のところ一番可能性があるのが、複数の長老がたが住んでおられる佐倉成田方面かもしれませんが、核になる地域(ある程度の規模で交通の要衝となるような街)がどこらへんかが今一つ分かりづらい気もします。

機が熟すれば、自然と導きは得られるのでしょうが、皆さんの希望はいかがですか。

W.教会内の教育や交わり

1.教育

最後に、教会内の教育と交わりについて考えることにします。

ここまでは、会堂や牧師館に関する今後の課題や伝道所の開設、複数牧会者の招聘等々、大きな(お金のかかりそうな)話題を扱ってきましたが、信徒の皆さんはむしろ、自教会内の教育や、特に相互の交わりといった身近な話題の方に、切実な関心を抱いておられることでしょう。

(1)成人科

教会内の教育に関しては、長年の課題だった「成人科分級」がこの春からスタートしました。役員会でもその必要性は長い間語られながら、うまく機能し始めるかどうか不安がありましたが、案ずるより産むが安しで、長老がたの毎週のご奉仕もあり、短期間に定着したのではないでしょうか。

当教会は長年の間、親子一緒の礼拝を実施してきました。というより、主日礼拝を大人版と子供版の2種類に分けて考えることをしないできました。「礼拝は一緒、けれども教育は各年齢層に応じて」というのが当教会の方針ですから、成人科分級が一層定着するようになれば感謝なことです。

(2)親子礼拝

その親子礼拝の方も、1階から4階まで4フロアがある現会堂に移ってから(原則的には、どのフロアでも礼拝を守れますから)、単一の狭い空間にいやでも全員がいるしかなかった(したがって、いやでも全員礼拝にならざるを得なかった)これまでの会堂での礼拝に比べると、多少自由さが増し、良く言えば融通が利くように、悪く言えば少しルーズに、なってきていますが、規則で一律に縛って強制するのではなく、その趣旨をお互いに理解し合って自覚的に、今後とも親子礼拝を持ち続けていきたいものです。

2.交わり

交わりに関する課題は三つあるでしょう。

(1)各会活動の細分化

第一は、各会の細分化です。大きな教会では、学生会、青年会(社会人会)、そして(教会学校高校科とは別に)受洗している高校生が自主的に運営する高校生会、年齢に応じた壮年会(男性会)、同じく年齢や未婚・既婚・職業のある無しに応じた各種の婦人会、という風にいろいろ分かれています。

当教会は会堂ができたとはいえ、同時に多種の会合を行なえるほどの部屋数はありませんから、どこまで細分化できるか分かりませんが、「(多くても15人程度までの)小さなグループ活動」(セル・グループ活動)が教会成長に大きく貢献するとよく言われますから、今後は各会を適切な時に適切な形に細分化することが教会成長と相互の交わりのために鍵となることでしょう。

その際、現行の壮年会・婦人会・青年会という大きな枠組みを維持したままその中で細分化することもできますが、一つの組織があまりにも大きくなり過ぎるよりは、(いわば分割民営化を進めて)壮年会と青年会が別組織であるように学生会と青年会、婦人会Aと婦人会Bは別組織であり、それぞれが小会・役員会に直結している、そして相互に合同して活動をする時には役員会を介して連携し合う、という形の方が、将来の教会のためには良いかもしれません。

(2)奉仕グループ活動

「小さなグループ活動」という面では、各会以外に「奉仕グループ活動」と「各地域の家庭集会」があります。

奉仕グループ活動は再調整しつつありますが、これも奉仕のためであるのと同時に相互の交わりのための活動でもあります。

(3)地域活動

各地域割りの活動は、何年も前から年報付録の「教会員緊急連絡網」では、各長老・執事を中心として地域分けをしてありますが、ここ数年、それに近い形で地域ごとの家庭集会が開催されるようになりました。この家庭集会も一層充実させたいものです。

この地域集会も、それぞれが小会・役員会に直結していますので、幾つかの地域集会が合同で活動しようとする時は、相互の話し合いによって決めることができるのではなく、役員会を介することが大切です。

私たちの教会は長老教会ですから、教会の活動はすべて小会(ないし執事も加えた役員会)の下で行なわれます。長老教会の特質を生かして、30周年以降、さらに熱心に主に仕える教会を建て上げていきましょう。