変わるもの・変わらないもの

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草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。 第一ペテロ一・二四〜二五

遠い日

秋も深まったある休日、当時中学二年生だった私は、クラスの友達 六、七人とサイクリングに出かけました。

その頃の私は、父の仕事の関係で二年ほど静岡県島田市で暮らして いました。東京の近くから越して来た私を、田舎の友人たちは特に差 別するでもなく、遊び仲間として受け入れてくれていました。それぞ れクラブがあったり用があったりで、いつもいつもいっしょに行動す るわけではありませんでしたし、教会に通っていた私は日曜午前のつ きあいは断わっていましたが、それでも折りあるごとに皆でつるんで 出かけていました。

遊びはおもにサイクリングで、その日も大井川の上流にあるダムま で行くことが目的でした。

朝早く友人の家に集合し、大井川沿いの道をさかのぼり始めました。 見事な秋晴れの気持ちのよい日で、対岸には遠く牧ノ原台地が続き、 金谷から出る大井川鉄道にはゆっくりと列車が走っていました。大井 川は川幅こそとてつもなく広いものの、水が流れているのは一部で、 大半は小石混じりの河原です。その河原に建設中の橋桁によじ登って 弁当を食べると、さらに北上して、大井川鉄道が対岸からこちら側に 川を横切って来るあたりで山道に入り、しばらくして静かなダムに着 いて湖畔を散策。途中、休憩小屋の天井にびっしりと落書きがしてあ るのを見て、俺たちもと、たわいのないことを書きなぐりました。

そうやってこの世と遠く隔たった気楽なトム・ソーヤの一日を過ご して帰路に着きながら、だんだんと気が滅入ってきました。現実に再 び戻らなければならなかったからでした。試験が近かったわけでも、 家庭が不幸だったわけでもありません。その日、一九六三年十一月二 十三日の朝、集合した時、友人が伝えたのです。 「おまえら、テレビ見てきたか。ケネディ大統領が暗殺されたって言 ってるぞ」

移りゆくもの

家に帰ると、当時はまだ休日でも配られていたはずの夕刊を食い入 るように読み、テレビ・ニュースを見続けました。

一九五〇年代に育った私たちの世代にとって、アメリカは遠いあこ がれの国であり、さっそうと登場した若き大統領はヒーローでした。 私の小学校時代の日記に唯一記されている世界史大の出来事は、ケネ ディが大統領に当選したことでした。小学校六年の時、私が教会に通 うようになったのも、こうした時代背景と無縁ではありません。

しかし、ケネディ暗殺を境に、「キリスト教国」アメリカには暗雲 が立ちこめ始めました。

やがて、ビートルズの音楽が私たちの心をとらえるようになった頃、 ベトナム戦争は泥沼の様相を呈し、ケネディ神話もいつしか崩壊して、 アメリカが決して健全な国であったわけではないことが徐々にわかっ てきました。少年は現実を知ったのです。

あの日から三十年あまり、「自分たちはキリストより有名になった」 と語って非難を浴びたビートルズはとうの昔に解散し、七〇年の政治の 季節もはるか遠くへ去りました。高度成長の波の中で結婚して子どもを もうけた私たちは、社会主義の崩壊とバブル経済の崩壊を目の当たりに し、今、企業のリストラと急激な円高に当惑しています。背丈が自分と 並ぶようになった子どものうちに、親に反抗した思春期のわが姿がその まま宿っていることを知り、人生は何もかも思い通りにいくわけではな いと感じながら、将来のこと、健康のことに漠然と不安を抱き始めてい ます。

その時々にさまざまな名称で呼ばれてきた「団塊の世代」(私はその 一番下)は、多かれ少なかれ、こうした軌跡をたどっていることでしょ う。

変わらない福音

昨夏、かつての友人たちが開いてくれた中学のクラス会に出席するた め、三十年ぶりに島田市を再訪し、あのダムまで足を伸ばしました。

変わっている風景、変わらない風景、変わっていない友人たち、すで に亡くなった友人たち。幼き日の友情はかすみのようなもので、今さら 個々の実生活に影響を与えるものではないとわかっていても、皆それぞ れが同じように生きていることに、やはり慰めと励ましを受けるもので す。変わらない自然に安らぎを感じることは言うまでもなく・・・。

けれども、時を越えて変わらないと実感させられるのは、その自然で はありません。やはり聖書です。そして救い主イエス・キリストです。 「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びるこ とがありません」(マタイ二四・三五)

以前、米国東部の深い森に囲まれた、かつてお世話になった引退宣教 師宅をお訪ねしたことがあります。数日泊めていただき、早朝の住宅地 を走り回る無数のリスを見ながら、この豊かさと静けさの中から大陸を 横断し、太平洋を越えて、敗戦後の混乱した遠い日本に宣教師として来 られたのかと思うと、深い感動を覚えました。

時代が変わり、人が変わり、社会が変わり、文明が変化しようと、人 の心の弱さや汚れ、罪は何も変わりません。そしてその罪から私たちを 救い、永遠のいのちに導こうと十字架で死んでくださったキリストの愛 も変わりません。

変わることのない十字架の福音に生かされてきたことを感謝しつつ、 あなたにもその人生を、とお勧めさせていただきます。

『百万人の福音』いのちのことば社,1995年7月